嵐山 法輪寺 (1) (西京区嵐山虚空蔵山町)

京都・寺社

渡月橋の北の袂から法輪寺を望む渡月橋の北の袂に立って嵐山を眺めると、その中腹に「十三まいり」で有名な法輪寺の多宝塔と見晴台 (舞台)がよく見える。真言宗五智教団、山号は地福山。虚空蔵菩薩を本尊とすることから、「嵯峨の虚空蔵さん」「虚空蔵法輪寺」などと呼ばれる古刹。

【歴 史】
和銅6 (713)年 元明天皇の勅願により行基が古義真言宗「木上山葛井寺(もくじょうざんかづのいでら)」(葛野井寺 (かどのいでら) とも) を開創したのに始まる。
天長6 (829)年 弘法大師空海の高弟 道昌(どうしょう) が、求聞持法(ぐもんじほう) 百日間参篭修行により虚空蔵菩薩を感得。自ら虚空蔵尊像を彫り、神護寺で空海の供養を経て安置。
貞観10 (868)年 葛井寺を「法輪寺」と改める。天慶年間 (938-947) には、空也が参篭し、勧進により堂塔修造、常行堂を建立したと伝えられる。
室町時代 応仁・文明の乱 (1467-1477) の際、門前での西軍畠山義就と東軍筒井光宣の戦いで堂宇焼失。以後しばらく衰退が続く。
轟橋安土・桃山時代 慶長2 (1597) 年、後陽成天皇が法輪寺再興のための勧進綸旨を発し、加賀前田家の帰依も得て堂を再建改築。天皇より「智福山」の勅号を贈られて、山号が「木上山」から「智福山」に改められる。
江戸時代 元治元 (1864) 年、蛤御門の変の際に長州藩浪士が天龍寺に集結。薩摩藩・幕府軍との戦いに巻き込まれ、堂宇が灰燼に帰す。
明治17 (1884) 年 本堂が再建される。以後、客殿・庫裏・山門等順次竣工。
昭和11 (1936) 年には多宝塔が再建され、昭和31 (1956) 年には「電電宮」再興となる。

渡月小橋の南袂からさらに松尾道を松尾大社方面に向かって数分歩くと、右手に法輪寺の参道が見える。参道前に大きな石の道標があり、正面に「虚空蔵 法輪寺 轟橋 葛井道昌墓 小督塔頼山陽選玉堂碑」と刻まれている。

小さな石橋「轟橋」を渡ると右手にお地蔵さま。そして目の前には表参道の石段が山門へと続く。山門

山門をくぐるとすぐ右手に、ドイツの物理学者ハインリヒ・ルドルフ・ヘルツ(1857-1894) とアメリカの発明家トーマス・アルヴァ・エジソン(1847-1931) 二人の業績を顕彰する顔のレリーフの壁が見える。その中央には「電電塔」

【本 堂】
木立の中の石段を上りきると、辺りは急に見晴らしが良くなる。本堂前では狛犬ならぬ狛牛 (本堂向かって左) と狛虎 (右) が参拝者を迎える。これは法輪寺の本尊 虚空蔵菩薩が、十二支の「丑」と「寅」の守護本尊であるため。また舞台入り口近くには、少し首を横に向けて座る「羊」の像が安置された社がある。「羊」は虚空蔵菩薩の使者または化身とされていて、その姿は今まさに菩薩を背に乗せようとしているところとか…。

狛牛 狛虎 虚空蔵菩薩の使者の羊本堂

 

 

 

 

【舞台 (見晴台) 】舞台から眺める渡月橋
本堂の右手には舞台 (見晴台) への入り口がある。山の中腹にあるため、渡月橋や嵐山の景色のみならず、京都市内の町並みや東山の連なる姿を一望できる。
「渡月橋」は、法輪寺中興の祖・道昌が、大堰川 (桂川) を修築して船筏の便を開き、橋を架けたのがその始まりで、当時は法輪寺の門前橋であったことから「法輪寺橋」と呼ばれていた。その後鎌倉時代の亀山天皇(在位期間1259〜1274) が、満月の夜に舟遊びをしていた折に、月が橋の上を渡るように見えることから「くまなき月の渡るに似る」と詠ったことに因んで「渡月橋」と呼び親しまれるようになったという。
法輪寺の舞台からその「渡月橋」を眺めていると、何とはなしに橋に親しみを覚えてしまう。
     薫風も 橋渡りたる 大堰川  (畦の花)

【電電宮】
電電宮平安初期、道昌が百日間の求聞持法を修した満願の日、明星が天空より降り注ぎ虚空蔵菩薩が来迎したという。「明けの明星」は虚空蔵菩薩の化身とされて、「明星天子」、「大明星天王」などとも呼ばれる。そこで「明星天子」を本地仏として、雷の神「電電明神」を主神とする『明星社』(みょうじょうしゃ)が鎮守社のひとつとして奉祀された。古代日本では「稲妻」という言葉に代表されるように、雷の神は田の神と同一視されていたので、地域住民から篤く信仰されていたのではないだろうか。
しかし元治元 (1864) 年の禁門の変 (蛤御門の変) で、本堂などとともに焼失し長らく仮宮のままであった。
電電塔昭和31 (1956) 年、電気・電子技術の進歩によって今後の電波事業は発展すると考えていた平林金之助氏 (当時の近畿電波管理局長) が、「電電明神」を電気・電波の祖神として祀るとともに、先覚者の霊を顕彰することを主唱。これに賛同した関西の電気・電波関連事業者等により、『明星社』『電電宮』と名を改めて再興。新たに『電電塔』も建立されて「電電宮並びに電電塔奉賛会」が発足。
現在「電電宮並びに電電塔奉賛会」は「法輪寺電電宮護持会」と改称し、毎年5月23日には「電電宮大祭」が行われる。

     神守り 姿かたちは 変われども 祈るこころは 今も変わらず  (畦の花)

<参考資料>
・虚空蔵法輪寺 HP
・「関西の珍しい神社!:電気・電波の神様を祀る「電電宮」」羽馬 洋之(著) (IEEJ Journal, Vol.127 No.6, 2007, 電気学会 p.364)