宝厳院 (右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町)

京都・寺社

古い冠木門臨済宗天龍寺塔頭の宝厳院 (ほうごんいん) へは、嵐電「嵐山駅」から徒歩4, 5分ほど。法堂 (選佛場) から南 (大堰川方面)に少し行った所にある。門前には多くの羅漢石像が並ぶ「嵐山羅漢の杜」。
受付の玄関門から後ろを振り返ると、「モミジのトンネル」と呼ばれる参道があり、青もみじが空を覆い隠すように茂っている。築地塀に続く古い風情のある冠木門は、TVなどの時代劇の撮影でよく使われている。

【歴 史】
寛正2 (1461) 年 室町幕府管領 細川頼之により、天龍寺開山 夢窓国師の第三世法孫である聖仲永光禅師を開山に迎えて創建。創建時は現在の京都市上京区禅昌院町にあり、細川頼之の昭堂を寺として広大な敷地を有していた。
入り口近くの宝厳院垣応仁の乱 (1467-77) により焼失
天正年間 (1573-91) 豊臣秀吉により大堰川近くに再建され、以後明治に至るまで徳川幕府からも外護される
明治維新後 「神仏分離令」とそれに続く「上地令(あげちれい)」により全国の寺院が寺領を召し上げられるなか、宝厳院も大堰川河川工事に伴い寺領を削られ、やむなく天龍寺塔頭 弘源寺の境内に移転。
平成14 (2002) 年 幕末の兵火前に天龍寺塔頭 妙智院があった現在の場所に移転し、再興。

 < Note >
 現在宝厳院が建つ場所には、室町時代から江戸時代末期にかけて妙智院があった。ところが元治元 (1864) 年の禁門の変 (蛤御門の変とも) で、妙智院は庫裡を残して焼失。明治維新後、妙智院は別の天龍寺塔頭 華蔵院と合併して現在地 (天龍寺参道入り口近く) に移転。
 妙智院旧地はその後田畑となっていたが、大正時代に日本郵船重役の林民雄が別荘として整備。昭和時代には中山家別荘として庭園・建物が維持された。

【本 堂】
本堂平成20 (2008) 年に幾多の苦難を乗り越えて完成した本堂は、境内の北奥にまだ木の香りもするかのような様子で佇んでいる。方丈様式で、室中、上間、下間の3室から成り、正面扁額には「寶厳」とある。本尊は十一面観世音菩薩で、その両脇には33体の観世音菩薩、そして足利尊氏が信仰したとされる地蔵菩薩像が祀られている。
また襖58面には、洋画家 田村能里子による「風河燦燦 三三自在」と題された絵が描かれている。全体が赤を基調としており、仏教がインドから中国へと伝わったシルクロードを想起させるような絵。下間から上間に向かって進むにつれ、夜明けから昼間、そして夕暮れへと襖絵の様子も変化してい書院と池く。これは人の一生にも例えられるか。描かれている人物の衣装はどことなくインドや中近東のそれに似た雰囲気だが、その顔はやはり日本人。もう少し人種を超えても良いのでは…。よく観察すると、襖の引き手には象や馬などの動物がデザインされている。画家の遊び心が面白い。寺院で襖絵をじっくり拝見するのも楽しい。

【書 院】
本堂の右手 (東側) にある書院は、宝厳院がこの地に移転する以前の大正8 (1919) 年に建造されたもの。現本堂ができるまでの間、仮本堂として利用されていたが、大正から昭和初期にかけての近代数寄屋建築の礎となる建物であるとして残された。書院前には池があり、ししおどしの音が庭園に響き渡る。

【無礙光堂 (むげこうどう)】無礙光堂
本堂手前の左手にあるのは、永代供養堂「無礙光堂」。こちらも本堂と同時期に建てられたようで、まだ新しい。樹々に囲まれるようにして一段と高い場所に建つ。

【青嶂軒 (せいしょうけん)
拝観受付を入ってすぐ右手の「宝厳院垣」に隠れるように茶席「青嶂軒」がある。書院同様に大正時代の別荘の茶席として建てられ、近年修復されたとのこと。「青嶂」の意は「樹木が生い茂って青々とした高く険しい峰」。

【無畏庵 (むいあん)
無礙光堂の南側、枯れた穂垣で仕切られた一角にある茶席「無畏庵」では、お庭を見ながらお抹茶がいただける。独特な形の茅葺屋根の庵で、やはり大正時代の建物なのだろうか?

【獅子吼 (ししく) の庭】
宝厳院の一番の見所はやはり「獅子吼の庭」。この庭は、この地がまだ妙智院であった室町時代に策彦周良 (さくげん しゅうりょう) 禅師によって作庭されたという。江戸後期の『都林泉名勝図会』巻之五の天龍寺の絵図には、「天龍寺塔頭 妙智院」の庭園と題して「シシ岩」とその周りを散策する人々の姿が描かれている。当時の観光スポットであったのだろう。
受付を入ると、まず川のように丸い黒石を敷き詰めた庭が目に入る。獅子岩これは「苦海」、そしてその隣には「三尊石」「龍門の滝」などの石組が配置され、釈尊が大衆に対して説法をする「獅子吼」を表現しているらしい。効果的に配置された「獅子岩」「碧岩」などの巨石を見ながら、緑なすカエデの梢を揺らして鳴く鶯の声や、静かに流れる水音そして時折のししおどしの音に耳を澄ましていると、なんだか時がゆったりと流れていくように思える。
苔むした大岩は、幾多の苦難を乗り越えてきたこのお寺の歴史を物語っているようだ。

 ししおどし 静まる庭に 鳴り渡り 

       垣の蜻蛉は 身じろぎもせず  (畦の花)

<参考資料>
・ 宝厳院 HP, 拝観の栞       ・  『都林泉名勝図会』 巻之五  秋里籬島著
・ 『ウィキペディア(Wikipedia)』