油掛地蔵 (嵯峨) (右京区嵯峨天龍寺油掛町)
京福電鉄「鹿王院駅」を下車して東側の道路を北上。4, 5分歩くと東西に流れる有栖川の土手が見えてくる。変則的な「四つ辻」の西角に小さなお堂と休憩所のような建物が見える。ここが「鹿王院駅」のホームでも紹介されている「嵯峨の油掛地蔵」。
すぐ北には有栖川に架かる「油掛橋」があり、辻には「右あたご、左こくうぞう」と刻まれた石の道標。町名も「油掛町」で、古くより地域で親しまれている「お地蔵さん」なのだろう。
瓦葺の小さなお堂の中に石彫りの地蔵尊が東向きに安置されている。左右にも小さな地蔵尊(?)。傍の掛札には「大本山大覚寺 油掛地蔵尊」とある。正面に掲げられている説明書き (昭和56年12月8日 油掛地蔵尊奉賛会による) には、まず『京の石仏』(佐野精一著) からの引用として
「鎌倉後期延慶3 (1310) 年に平重行を願主として建立。本尊は阿弥陀如来、観音・勢至両菩薩と合わせて阿弥陀三尊。石の両肩を斜めに大きく切り落とした珍しい形で厚肉彫り。胸の張り豊かで両肩から両腕にかけての重厚さは鎌倉中期石仏の風格がうかがえる。京都で鎌倉期在銘の石仏はこの他に二体しかなく何れも重文・重美に指定されている。この油掛地蔵尊も重要文化財級の石仏で貴重。」
とある。さらに説明は
「油をかけると祈願成就の言い伝えは、延宝8年黒川道祐の『嵯峨行程』に「油掛地蔵此辺にあり 凡そ油を売る人この所を過るときは必らず油をこの像に灌いて過ぐ云々」とあり、約300年以上の昔より御油を掛け祈る風習があった」 と続く。
「地蔵尊に油をかけて祈願する」 などという珍しい風習に興味を持ち少し調べてみると、一般社団法人 日本植物油協会のホームページの「植物油こぼれ話」に油掛地蔵に関する記事があった。そこでは、油を掛ける意味のひとつの説として「仏前に水を供える閼伽 (あか) 供養が、水を掛ける、さらに油を掛けるという行為に発展し、これと油商人の商売繁盛の願いが結びついた」ことを挙げている。また油を掛けられるのは地蔵尊のみならず大黒天などもあるという。
さらに京都の下立売通で江戸後期創業という老舗油商「山中油店」のホームページには、嵯峨の油掛地蔵に関する意外な事実が載っていた。それは今もお堂に掲げられている御詠歌の額に関わる話。
「あさひさす 日の出かがやく 油かけ ただひとすじに たのめこそすれ」
という御詠歌には 「油掛 大日如来 / 地蔵尊 御詠歌」 の題がある。御詠歌が創られた当時、石仏は長年にわたって掛けられた油の層で覆われて、地蔵尊なのかどうかよくわからない状態だったらしい。大日如来として信仰していた人々もいたようで、それが「大日如来 / 地蔵尊」の部分に表現されているのだろう。
ところが昭和53 (1978) 年8月に石仏の油落しが行われたところ、頭光背の線刻の内側に「観音菩薩」の種字「サ」と「勢至菩薩」の種字「サク」が彫られており、本尊は阿弥陀如来坐像であることが判明。さらに「延慶3年庚戌12月8日」及び「願主 平重行」の銘文が刻まれていることもわかったという。
因みに京都にある鎌倉期の石仏で重文・重美指定されているのは以下の二体。
① 石像寺 (釘抜地蔵) 「阿弥陀三尊像」「元仁2年 (1225年)」「願主 伊勢権守佐伯朝臣為家」の銘 (重要文化財)
(石像寺ではもう一体の石仏「石造弥勒仏立像」も2010年に重文指定されている)
②善導寺 「釈迦三尊石仏」(釈迦如来立像・文殊菩薩・弥勒菩薩) 「弘安元年 (1278年)」「願主 慶円□□」の銘 (重要美術品)
また京都では他にも伏見区下油掛町の西岸寺と右京区梅津中村町の長福寺に油掛地蔵があるらしい。
油掛地蔵さんからもう少し東に行けば「安堵の塔」もある。古い街道を歩いていると、知らなかった小さな歴史に出会えることが楽しい。
辻堂に 坐す地蔵に 油掛け 手を合わせれば 空も春めく (畦の花)
<参考資料>
・ 山中油店 ホームページ 「油と地蔵信仰」その3
・ 『植物油こぼれ話 : 植物油が取り結ぶ"人々の願い"…油掛地蔵』日本植物油協会
・ 『石仏は語る』 辻尾榮市著 産経新聞, 2020.9.7
・ 第102回文化審議会文化財分科会議事要旨 文化庁, 2010.3