薬師寺 東塔・西塔特別公開 (奈良市西ノ京町)
奈良薬師寺で創建当初から唯一現存し、平城京最古の建造物として知られる国宝 東塔は、平成21 (2009) 年から12年をかけて全面解体修理が行われた。そして新型コロナ禍の影響で延期されていた落慶法要が、昨年(2023年) 4月21日に行われ、東塔・西塔が特別公開された (昨年4月28日より2024年1月15日まで)。
初めて薬師寺を訪れたのは、まだ金堂がやっと復興された頃で、当然のことながら塔は古い東塔のみ。寂れただだっ広い敷地に聳え立つような塔がとても印象的だった。当時は、薬師寺管主の高田好胤氏が写経勧進による薬師寺再興のために東奔西走しておられ、金堂再建の棟梁 西岡常一氏と共にメディアでお目にかかることも多かった。フェノロサが東塔を「凍れる音楽」と讃えたと言うが、確かにその姿には独特な美しさがあった。
今回は近鉄「西ノ京駅」からは少し離れているが、南門 (重文) から参拝。南門の後ろには金堂の屋根、そして左右には新・旧二つの塔が青い空に伸びるように建つ。シンメトリーの美。
西塔の再建そして東塔の解体修理を機に、創建時にあったとされる塔内陣の「釈迦八相像」も再興。今回はこの「釈迦八相像」も含めた初層が公開された。「八相」を釈迦の誕生から涅槃まで順に見られるよう、東塔からの拝観となる。
【東 塔 (国宝)】
創建当初から唯一残る白鳳時代の建物。屋根は六つだが、実は三重塔。1, 3, 5番目の小さめの屋根は「裳階 (もこし)」と呼ばれ、建物を風雨から保護するために付けられている。各層に裳階のある塔は薬師寺だけらしい。富山県の「伝統工芸高岡銅器振興協同組合」によって一部が新調・修復された塔頂部の「相輪」は、陽射しを浴びて輝いている。とりわけ高さ約2mにもおよぶという4枚の飾り「水煙」は、24人の飛天が飛雲のなかで笛を奏で、花籠を捧げ、蓮の蕾を手にして衣を翻し舞うデザイン性に富んだもので、完成までには大変な苦労があったようだ。また、解体修理中に心柱最上部から発見された仏舎利容器は、5人の工芸家が制作した新たな五重の入れ子式容器となって東塔に納められている。
東塔には「八相」のうちの 「因相」 (四面) が心柱を囲んで祀られる。「因相」とは釈迦が釈迦国の王子として誕生し、出家・悟りに至る前半生の四つの重大事相のこと。拝観は北面の扉から入り、東面→南面→西面の順に心柱の周囲を巡る。
① 北面:「入胎 にったい」
釈迦の母 摩耶夫人が、釈迦を身籠ったことを夢告される場面。岩窟の手前に横たわる若き女性は摩耶夫人、そして暗い奥に見える白像は釈迦を表す。
② 東面:「受生 じゅしょう」
釈迦の誕生。生まれるとすぐに7歩歩き、右手を上げて「天上天下唯我独尊」と唱えたとされるあの有名な場面。一際輝く幼な子の王子誕生を、喜びと驚きで見守る宮殿の人々の様子が細部まできっちり造り込まれている。出産して7日後に亡くなった摩耶夫人に代わり釈迦を育てた摩耶夫人の妹の姿も見える。
③ 南面:「受楽 じゅらく」
シャカ族の王子として宮殿で幸せに暮らしていたシッダールタ (釈迦) だが、29歳の時に王城の東西南北四つの門から次々と城外に出て人の世の苦しみ (老・病・死) を知る。最後の北門から出たシッダールタは、出家者に出会いついに出家修行を志す(「四門出遊」)。意気揚々と馬に乗り城外に出た王子が、次第に悩み苦しんでいく様子がその表情にも読み取れる。
④ 西面:「苦行 くぎょう」
王族としての衣を脱ぎ厳しい苦行に挑む釈迦。しかし6年後、苦行のみでは「悟り」は得られないと理解した釈迦は、修行を中断して近くのナイランジャナー川に沐浴に行く。その時出会った村娘スジャーターは、釈迦を「樹神」と思い「乳粥供養」をし、釈迦はそれを食す。
凛々しい若者だったシッダールタ王子が、厳しい修行で最後は老人のように痩せ細る様がなんとも真に迫る。その彼に恭しく「乳粥」を捧げるスジャーターからは、篤い信仰が感じられる。
塔の四隅では四天王立像 (平安時代) がそれぞれの場所を守護し、よく見れば天井にはうっすらと花のような紋様「宝相華文」が残っている。西面の一部の天井は、今回これも復元された色鮮やかな「宝相華文」に代えられており、創建当時の東塔内部を想像することができる。
【西 塔】
東塔を出ると、真っ直ぐ先に西塔が見える。宮大工 西岡常一棟梁 の指導の下、東塔の綿密な調査と古記録研究に基づく設計、さらに現代の知見を取り入れて1981 (昭和56) 年に再建。東塔と同じく毎重裳階付だが、鮮やかな青丹の色と金色の飾り金具に彩られており、創建当初はこうだったのだろうかと何度も仰ぎ見てしまう。塔の心礎には、画家 平山郁夫氏が請来した仏舎利が奉安されている。
西塔には「八相」のうちの 「果相」 (同じく四面) が祀られる。「果相」とは苦行を止めて悟りを得た釈迦が、教化を続け入滅するまでの後半生の事相。拝観は東面の扉から入り、南面→西面→北面の順に心柱の周囲を巡る。「果相」4相は、2015 (平成27) 年に奉納・安置された。
① 東面:「成道 じょうどう」
スジャーターの供養を受けて菩提樹の下で瞑想に入った釈迦を、マーラ (悪魔) が3人の美女や魔衆を遣わして悟りの邪魔をする。しかし釈迦は一向に動ぜず、やがて曉の明星の輝きを得て悟りを開く。
様々な動物の顔をした魔衆が、禅定に入っている釈迦を取り囲んで槍や弓で襲おうと脅す姿と、金色の光を放ち静かに坐す釈迦の姿が対照的な場面。
② 南面:「転法輪 てんぽうりん」
悟りを開いた釈迦が、鹿野苑 (サールナート) で5人の比丘に初めて「縁起の法」を説く様子 (初転法輪) が場面右手に見える。左手には、45年間に亘る布教活動の中で帰依者となったマガダ国のビンビサーラ王や、祇園精舎を建立し寄進したスダッタ長者などが釈迦を深く敬う姿がある。また場面中央奥の霊鷲山の峰では、釈迦が弟子達と共に瞑想している。
③ 西面:「涅槃 ねはん」
釈迦80歳。マッラ国のクシナガラで病に倒れ、沙羅双樹の林に身を横たえて入滅。西暦紀元前486年2月15日の事。空には満月が輝き、母 摩耶夫人が樹上高くで見守っている。釈迦の最期を看取り悲嘆にくれる弟子達の悲しみが静かに伝わってくるような場面だ。
④ 北面:「分舎利 ぶんしゃり」
中央には、釈迦が荼毘に付される炎が高く上がって周囲を照らしている。その左側では、クシナガラのマッラ族が仏舎利の専有を表明したために周辺国との間で起こった争いが展開。その前では「お釈迦様はご遺骨の分配について争う事を望んではおられない」と諌めたバラモンの直性 (ドローナ) が仏舎利を八つに分ける姿。八つの舎利容器は金色に輝いている。
西塔天井には復元された「宝相華」が全面に施されている。白を基調とした中に朱や緑の色も鮮やかな紋様がリズミカルに描かれている様子は、まるで軽やかな音楽を奏でているようだ。そのためか、東塔内部よりも明るい気がする。また東塔同様に、四隅には四天王立像が安置されている。しかしこの四天王像、なかなかの経歴の持ち主らしい。
「釈迦八相像」 (ブロンズ像) を制作したのは、鹿児島市在住の彫刻家で文化勲章受章者の中村晋也氏 (96)。構想3年、制作に11年がかかったという。一場面が高さ約3m、幅約5m、奥行き約1.5mそして重さ3tほどになるという大作。作者自らが「千年残る仕事」と語る像は、観ている者に「釈迦八相」を静かにしかし熱く語っている。
二つの塔を改めて見比べてみると、「白と黒」の落ち着いた東塔に対し、西塔は「青丹 (緑と朱色)」で鮮やか。西塔の方がやや高く、屋根の勾配がゆるやかなようだ。東塔には無い青 (緑色) の連子窓が西塔には設けられているのも、西塔がより鮮やかに見える理由かもしれない。ただ創建当初には東塔にも連子窓があったという。1300年という大きな時の流れを超えて建つ二つの塔を眺めていると、日本という国の成り立ちについて改めて知りたいと思った。
青丹よし 奈良の薬師寺 双ぶ塔 いにしへ語り 未来を望む (畦の花)
<参考資料>
・ 薬師寺 website, 拝観の栞, 東塔・西塔特別公開の栞
・ 『釈迦の生涯描き切る 彫刻家・中村晋也作「八相像」奈良・薬師寺で公開』 南日本新聞デジタル 2023/04/28
・ 『薬師寺東塔 大修理に挑んだ匠たちの現場レポート。「凍れる音楽」は今、どうよみがえったのか?』 (「中川政七商店の読みもの」2020.1.26)