ネジバナ (捩花) に想う
大神神社に参詣した折のこと。祈祷殿前の築山に咲く鮮やかなピンクの少し変わった花が目に留まった。その花は、土筆のようにツンツンと伸びた緑色の茎に、まるで絡みつくようにして咲いている。初めて目にする花で興味をそそられたので、帰宅後調べてみることに。
その花の名は “ネジバナ (捩花)"。学名は “Spiranthes sinensis Ames var. amoena"。学名の “Spiranthes" はギリシャ語の “speira(螺旋) + anthos(花)" に由来し、「ネジレバナ」や「ねじり草」とも呼ばれるとのこと。
地生のラン科の植物で、芝生や土手など水はけがよく、日当たりのよい丈の低い草地によく生えている。一般にラン科の植物は、菌根形成により菌類が作る栄養分を吸収して成長するため、特定の菌類が多く存在する芝生などの草地に多く見られるという。確かに、築山には芝生が植えられていた!
20個ほど螺旋状に並んだ小さな花を近づいてよく見れば、シラン (紫蘭) の花にちょっと似ている。螺旋の巻き方は、左巻き、右巻き、中にはねじれずに一直線に付くものもあるそうで、また見つけたらじっくり観察してみよう。
ところで “ネジバナ" には、『古今集』 (または『百人一首』) の和歌を思い起こさせる別名 “モジズリ" がある。そう、あの 『源氏物語』 の光源氏のモデルの一人と言われる「河原左大臣」こと源融 (みなもとのとおる) の歌だ。
陸奥 (みちのく) の しのぶもぢずり 誰 (たれ) ゆゑに 乱れむと思ふ 我ならなくに
河原左大臣 (『古今集』恋四 (724) ) *百人一首では第四句が「乱れそめにし」となっている
和歌に詠まれた「もぢずり」とは?
「文知摺」と表記し、「もちずり」とも言う。福島県福島市に古代より伝わる染色技法で、石の文様を忍草という植物の汁で摺り写した草木染を「しのぶずり」と呼ぶ。中でも「陸奥國信夫 (しのぶ) 郡」で生産された織物は、「摺った形が捩 (もぢ) れた (=ねじれている) もの」だから「しのぶもぢずり」と称されたようだ。都人には、摺りの模様の色彩が入り乱れた染め物が、むしろ斬新なものに思われたのかもしれない。そんなふうに考えると、河原左大臣 (源融) の歌がより深く味わえる。
福島市山口にある「文知摺 (もちずり) 観音堂」(現「文知摺観音・普門院」)は、行基作と伝わる聖観世音菩薩を本尊とする古刹で、「もちずり絹」発祥の地として知られ、境内には「文知摺石」がある。そしてこの「文知摺石」には源融と地元の長者の娘との悲恋物語が伝わるとのこと。
【みちのくのしのぶ恋】
時は貞観年間 (9世紀半ば過ぎ) のこと。嵯峨天皇の皇子 源融は、陸奥国の按察使 (あぜち, 巡察官) として赴任。信夫の里で融は村の長者の娘 虎女 (とらじょ) と出会い、二人は情愛を深めていった。しかし都に戻らなければならなくなった融は、再会を約して信夫を去った。一人残された虎女は、再会を願って「もちずり観音」に百日参りをし、文知摺石を麦草で磨き続ける。満願の日のこと。磨き込まれた「もちずり石」に、虎女は愛しい融の面影を見出すが、それも瞬く間に消え失せてしまった。落胆大きい虎女は、遂に病の床に就いてしまう。都にいる融から一首の歌が届いたのは、彼女の死の直前だったという。その歌こそ 『古今集』 に残るあの歌。
「もちずり石」は故事に因んで「鏡石」とも呼ばれ、「文知摺観音」 境内には虎女と源融の墓が建立されている。そこには京都の嵯峨釈迦堂 清凉寺にある「源融公の墓」より土が移されたとのこと。
源融が詠んだ歌により「しのぶもぢ摺の石」は 「歌枕」 となり、在原業平が主人公かと言われる『伊勢物語』の「初冠 (ういこうぶり)」では、元服をしたばかりの「男」が、奈良の里で見染めた若く美しい姉妹に恋の歌を贈っている。
春日野の 若紫の すり衣 しのぶのみだれ かぎり知られず
在原業平もまた「光源氏」のモデルの一人とされる人物だ。
また江戸時代には、松尾芭蕉も実際にこの石を見に訪れて次の句を詠んでいる。
早苗とる 手もとや昔 しのぶ摺
小さなピンクの花の名に、こんなにも多くのエピソードが隠れているとは、なんとも興味深い。今度清凉寺に参詣する時は、源融公のお墓にも改めてお参りしましょう。
<参考資料>
・ 『ネジバナ』 (「スタッフのおすすめ」 ,三重県総合博物館 )
・ 『ネジバナ』 生物多様性コラム (第1回), 名古屋市立大学生物多様性研究センター, 2013.6.18
・ 『しのぶもぢずり』 清水 あい 著 (「西陣の糸屋 絹糸情報館」 吉川商事)
・ 『普門院(文知摺観音)』 安洞院 website ・ 『文知摺石』 日本伝承大鑑