彼岸と”お彼岸”

総記

 「暑さ寒さも彼岸まで」という言習わしは馴染み深く、ことに今年のように猛暑が続くと、何とはなしに「彼岸はいつかな?」と気になってしまう。カレンダーを見ると、2024年の秋彼岸は「彼岸入り」が9月19日、「中日 (秋分の日)」が22日、そして「彼岸明け」が25日 … ふと、いつもは何気なく使っている言葉「彼岸」の意味が気になり出した。

【仏教語としての「彼岸」】
 仏教では、煩悩の多い現世 (輪廻の世界) を「此岸 (しがん)」と呼ぶのに対し、悟りの世界を「彼岸 (ひがん)」(サンスクリット語 “pāra") と呼ぶ。ただし、浄土教においては「(極楽) 浄土」を意味する場合も多い。そしてこの「彼岸」に至ることを「到彼岸」「度彼岸」(pāramitā パーラミター)と言い、「波羅蜜」「波羅蜜多」と音写される。そして悟りの境地に達して仏となるために、菩薩は「六波羅蜜」の行をする必要があるとされる。
 <六波羅蜜 (多)>
 ① 布施 (恵み、施し) ② 持戒 (戒律を守り,自己反省する) ③ 忍辱(にんにく) (耐え忍ぶこと) ④ 精進 (努力の実践) ⑤ 禅定 (心を鎮め保つこと) ⑥ 般若(智慧) (悟り目覚めること)

 「浄土三部経」のひとつ『観無量寿経』(略して『観経』とも) では、極楽世界を目の当たりにするために精神を統一して行う13通りの観想が説かれているが、その第一が「日想観」という行。浄土宗の高祖 善導は、『観経』の注釈書『観無量寿経疏』において「春分・秋分の日、太陽は真東から出て真西に没す。阿弥陀仏国 (すなわち極楽浄土) は、西の方角にあり、日没が真西となる両日は、沈む夕日を観てその彼方にある阿弥陀仏の極楽浄土に想いを馳せる「日想観」行に相応しい」と述べている。
 浄土教が広まるにつれ、「春分・秋分の日」を中日とした前後七日間は、極楽浄土を思い仏道修行に勤しむ期間とされていったのだろう。浄土宗宗祖である法然も、「日想観」の名所と言われる大阪の四天王寺近くで「日想観」の行を修したという。

【彼岸会・お彼岸】
 仏教の教義「彼岸」とは別に、「ひがん」という語は「彼岸会 (ひがんえ)」を示す場合もある。
 <彼岸会 (ひがんえ)>
 「彼岸会」はインドや中国に由来するものでなく、日本で始まった法会。
 『日本後紀』大同元 (806) 年辛巳の条に、桓武天皇が「藤原種継暗殺事件」に連座したとして皇太子を廃された弟 早良親王 (崇道天皇) のために、諸国国分寺の僧に春秋二季の七日間『金剛般若経』を読ませたとあるのが初見。この後、桓武天皇は薨去。皇位を継いだ平城天皇は「崇道天皇社」を建立して崇道天皇を祭らせ、遺言を施行させた。これが「彼岸会」の始まりとも言われる。
 皇室では、宮中祭祀のひとつ (大祭) として、歴代の天皇・皇后・皇親の霊を祭る儀式「皇霊祭」が、春分の日「春季皇霊祭」と秋分の日「秋季皇霊祭」に斎行される。春秋の「皇霊祭」は、1948年に「国民の祝日に関する法律」が施行されるまでは、同名の国の祝祭日だった。以降も「春分の日」「秋分の日」と改称されて国民の祝日になっている。

 <お彼岸>
 民俗学では、農耕民族である日本人には古来より土俗的な太陽信仰や祖霊信仰があり、太陽が真東より出て真西に沈む春分・秋分の日は、豊穣祈願と収穫の恵みに感謝する日として大切にされてきたとされる。民俗学者の五来重 (ごらい しげる) は、「お彼岸」の由来として、豊作を太陽に祈願する太陽信仰の言葉「日の願い」が、「日願 (ひがん)」として、仏教語「彼岸」と後に結びついたものであろうと述べている。
 現在私達が使う「おひがん」には、仏教語、昔ながらの土俗的信仰、さらには皇室とのつながりといった様々な要素が綯い交ぜになって盛り込まれているのだろう。

 彼岸が来れば墓参をし、邪気を払う効果があると信じられてきた赤い小豆と、昔は貴重であった砂糖を使った「おはぎ・ぼたもち」を先祖へのお供えにする。その呼び名も、春彼岸は「ぼたもち」(牡丹の花の咲く頃なので)、秋彼岸は「おはぎ」(萩の花の時期なので) と、似たような食べ物なのにその名にこだわったりするのも、古来よりの風習を大切にしているから。やっぱり日本人には「おひがん」が相応しいか…。

<参考資料>
・ WEB版 新纂浄土宗大辞典          ・ 崇道天皇社 website  「由緒/御祭神」
・ 『沈みゆく夕日に浄土を想う 秋彼岸』 浄土宗新聞, 2022.9.1 (宗教法人浄土宗 website)
・ 『彼岸の由来を知りたい』  「レファレンス事例詳細」  (レファレンス協同データベース), 国立国会図書館ホームページ
・ フリー百科事典 『ウィキペディア(Wikipedia)』