初冬の”ならまち”:元興寺へ

奈良

 昨年、奈良博の「空海」展を観た際、インドネシア国立中央博物館から借用した仏像が空輸の振動に耐えられるようにするために、「元興寺文化財研究所」が現地での修理に協力したことを知る。「元興寺」ってどんな寺院?そんな疑問から、観光客が少なくなり始めると思われる12月半ば、“ならまち” 「元興寺」に参詣。

猿沢池

 現在ひらがなで “ならまち" と示されるのは、「元興寺」の旧境内を中心とした地域と新薬師寺本堂などのある高畑周辺地域からなるエリアとのこと。「元興寺」旧境内では、戦国時代後半より荒廃していた寺域に次々と町屋街が形成され、江戸時代には急速に都市化が進んだという。現在も残る町並みは、その頃にできたもので、昭和60年代に古民家を活かした町並み保存活動が活発化。やがて現在のような観光地となったようだ。

 まずは近鉄奈良駅すぐの「東向商店街」から「猿沢池」に向かう。池畔の枝垂れ柳はまだ青々とし、所々に置かれたベンチではくつろぐ人の姿もチラホラ。池の南側から望む興福寺の五重塔のある景色はよく知られるが、現在は修理中で厳重にパネルで覆われておりちょっと残念 (工事完了予定は2031年)。
 池西側の散策路を南下。細い道の両側には、京都に似た古い町屋が軒を連ね、そんな中に観光客相手の今風なお店が点在。ならまち大通りに出れば「元興寺」まではすぐ。現在北門は閉じられているので、拝観受付のある東門まであと少し。

旧肘塚町石造物群

<元興寺 (がんごうじ)>
 1998年、8つの資産で構成される「古都奈良の文化財」世界文化遺産に登録された。元興寺は「東大寺」や「春日大社」などと共にその資産に入る。
 駐車場入り口の左手には「世界遺産」と刻まれた大きな記念石碑。また南側には古い石仏や石碑が並んでいる。弘法大師像や「南無阿弥陀仏」と書かれた六字名号碑などが、冬日を受けて光る紅葉の下で肩を寄せ合っているようだ。元は、肘塚 (かいのづか) 町の不動堂にあった石造物群という。

 応永年間 (1394-1428) に東大寺西南院四脚門が移建されたという東門 (重文) の前に立つと、正面に国宝「極楽堂 (極楽坊本堂・曼荼羅堂)」の堂々とした姿が迎えてくれる。

 元興寺は、飛鳥の地で蘇我氏寺「法興寺」(別名 飛鳥寺 *) として建立されるが、平城遷都とともに現在地に移され「元興寺」と称するようになる。「官大寺」となった当初は広大な寺域を持つ巨大寺院だったが、次第に衰退し、室町時代には金堂までも焼失。

極楽堂

現在の本堂とも言える「極楽堂」は、元は僧房の一部であったという。「極楽堂」前面には広い向拝があり、堂内はとても広い。中央板敷の内陣にある須弥壇には、本尊「智光曼荼羅」が祀られ、両脇に智光、礼光両法師像が安置されている。畳敷の外陣が内陣周囲を取り囲み、常行堂のようだ。
  * 現在も明日香村飛鳥にある「飛鳥寺 (安居院)」には、当時の本尊「釈迦如来像 (飛鳥大仏)」が飛鳥時代と同じ場所に安置されている。

 「極楽堂」の西に隣接する「禅室」も国宝。官大寺僧坊の遺構を鎌倉時代に改築したものだが、奈良時代以前の古材を多く再利用しているという。大仏様の堂々とした建物。「極楽堂」西側と「禅室」南側の東寄りの屋根には、「行基葺き」と呼ばれる飛鳥時代の創建時から平城京に移建時頃の瓦が今も残る。

 

禅室
行基葺き屋根
浮図田

 「元興寺」境内では、「極楽堂」「禅室」の南側にズラリと並んだ五輪塔や宝篋印塔、石仏が一際目を惹く。

「浮図田 (ふとでん)」と呼ばれる石造物群だが、かつて「禅室」北西に積み上げられていたものを、1988 (昭和63) 年に現在地に移し、並べ直したもの。「浮図 (または浮屠)」とは、仏陀、僧あるいは仏塔のことで、「仏塔・仏像があたかも稲田の如く並ぶ場所」という意味らしい。毎年8月23日・24日の「地蔵会」では、「浮図田」での燈明皿点灯供養が行われるとのこと。「浮図田」の石造物群をよく見てみると、時代や願主など実に様々で「元興寺」の長い歴史が感じられる。

ガゴゼ

 ” ガゴゼ " のいる庭
 また境内の隅々を見ていると、あちらこちらに鬼のような面貌をした不思議な子どもの造形物が置かれているのに気づく。これは元興寺に古来より伝わるもののけ「ガゴジ」または「ガゴゼ」らしい。漢字で表せば「元興寺」あるいは「元興神」(読み方が似ている)。
 平安初期の説話集『日本霊異記』に、ある農夫が雷神から授かった怪力の子どもの物語がある。元興寺の童子となった子どもは、寺の鐘楼に出る人喰い鬼を退治。その時に掴んだ鬼の髪の毛は、しばらく寺に保管されていたが、いつしかなくなってしまったという。後に子どもは “道場法師" となり、元興寺では鬼を退治した時の法師の形相を「元興神 (ガゴゼ)、八雷神 (やおいかづちのかみ) 」と称し、失ってしまった「鬼髪」に代わって寺のシンボルとした。

 折しも境内には淡紅色の寒桜がきれいに咲き、まだ散るには早い紅葉と共に目を楽しませてくれた。そして木の下や草陰をよく見れば … いた、いた、ガゴゼ!数えてみれば、5体のガゴゼがこっそりと参拝者を観察している! 今では絵馬や御守りにも登場するガゴゼは、なかなかチャーミング。

  やはらかに 光に揺れる 寒桜 いにしへ 夢み ガゴゼ 微睡む  (畦の花)


 訪れたのは『春日若宮おん祭』の期間中 (12月15日〜18日) だったので、観光客も多いかなと思ったが、「ならまち」散策をする人は意外に少なかった。やはり最も人出が多いのは、平安時代から江戸時代に至る風俗衣裳を着けた伝統行列や芸能を観覧できる「お渡り式」が行われる日のようだ。

<参考資料>
・『わかる! 元興寺:元興寺公式ガイドブック』第2版 元興寺, 元興寺文化財研究所 編著 ナカニシヤ出版, 2019
・『奈良町』奈良市website 奈良市役所