仁和寺 五重塔・経蔵 (特別公開)
仁和寺は、真言宗御室派総本山で、平成6 (1994) 年に世界遺産に登録。嵐電 (京福電鉄) の「御室仁和寺駅」を降りれば、北側に大きな二王門が見える。「第59回 京の冬の旅」で、普段は非公開の「五重塔」と「経蔵」が公開となる。
【仁和寺の歴史概要】
仁和4 (888)年、第59代宇多天皇が、前年に崩御した父 光孝天皇の遺志を継ぎ開創。寛平9 (897) 年に譲位して出家した宇多上皇は、御室 (僧房) を建て、仁和寺第1世 宇多 (寛平) 法皇となる。これが地名「御室」の由来で、寺名は創建時年号に因む。
応仁・文明の乱で一山のほとんどを焼失、衰退。江戸期寛永年間 (1624 – 44)、徳川幕府の援助を受けて再興。慶長時代には御所から紫宸殿 (現 金堂)、清涼殿 (御影堂) など多くの建造物が下賜され、伽藍の再建が完了して創建時の姿に戻る。
【五重塔 (重文指定 1900年4月7日)】
寛永21 (1644) 年の建立。三間五重塔婆、本瓦葺。総高36.18m、塔身32.7m。東寺の五重塔と同じように、上層から下層にかけて各層の屋根幅にあまり差がない細身で優美な姿が特徴的。
初層西側の出入口の上には、胎蔵界大日如来を表す梵字 (アーク、荘厳体) が書かれた扁額。近くから見上げると、複雑な屋根の木組みの様子や、初層の垂木の上で隅木を支えている「邪鬼」の必死の表情もよく見える。また、南東角にだけある龍面瓦は、龍が水の神であるという信仰から塔の火災除けの意味があるとされる。各層の軒先にはブロンズ製の風鐸が掛けられている。


普段は上れない基壇だが、特別公開ではその基壇上を歩いて開けられた扉の外側から塔内部を見ることに。内部は折上げ格天井。中央の心柱を囲む四角形の天井がさらに設けられ、四本の天柱がこれを支えている。心柱の四方には、西面 (基壇への石段を上るとまず見える) の胎蔵界大日如来と無量寿如来、北面の天鼓雷音如来、東面の宝幢如来そして南面の開敷華王如来の胎蔵界五仏が安置。四天柱や天井には胎蔵界の様々な菩薩や明王、飛天 (迦陵頻伽?) また牡丹唐草、菊花紋様などが極彩色で描かれている。壁面には真言八祖が描かれ、隅々まで美しく荘厳されている。また扉の内側には明王が描かれているが、こちらは色が剥落して塔の古さを感じさせる。
【経 蔵 (重文指定 1973年6月2日)】
経蔵 は江戸前期 寛永・正保年間 (1641-1645) の建立。他の建物と異なり、内部は鏡天井、床は瓦敷で左右に花頭窓が付く禅宗様。桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、本瓦葺の建物の中央には、大きな 八角輪蔵 が備えられている。
寛永年間の再興に当たって第21世覚深法親王の補佐をした僧 顕證 (けんしょう, 1597-1678) が、経典・密教経典の儀軌など膨大な数の聖教類や古文書の整理・収蔵のために 八面体の回転式輪蔵 (経巻棚) を備えた「経蔵」を建立。輪蔵の各面に経典を収める「経函 (きょうかん)」があり、その数は768函という。しかし1つの面に見えるのは横5x縦12の計60函。八面では計算上では計480函になり、数が合わない?「実は各面とも中央の3列の奥にもう1函ずつあり、1つの面には計96 (60+36) 函になります」と僧侶の方からの説明。
輪蔵 には 天海版 『一切経』 が納められ、各函には一切経を納める順番を示す漢字一文字が記されているが、これは漢詩文『千字文 (せんじもん)』から採られているらしい。また天海版『一切経』とは、江戸時代に天台僧 天海が徳川家康の援助を受けて制作した木製の活字による日本で最初の「一切経」のこと。「天海版」が完成したのは慶安元 (1648) 年。一方、仁和寺の「経蔵」が建立されたのが寛永・正保年間 (1641-1645) にかけてということから、顕證はあらかじめ天海版の完成を見込んで、経蔵の建設に取りかかったのではないかとも言われる。
「輪蔵」の正面 (西側) には、釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩の釈迦三尊像が祀られ、ご本尊前には釈迦弟子の優波離・大迦葉・阿難陀が安置。輪蔵下部にはそれぞれの面に一体ずつの小さな像が配されていた。僧侶の方に尋ねると「天部の方です」と言われたが … ?また壁面には、八大菩薩や十六羅漢が極彩色で描かれ荘厳な世界を演出しているが、各図像の横にある何も書かれていない長方形が気になった。案内の僧侶の方の説明では、本来はそこに各々の名前を書く予定だったらしいが未完のままの状態で、その詳しい経緯は不明とのこと。
(拝観所感)
「五重塔」に関しては、日本一の高さを誇る東寺の五重塔 (約55m) と姿は似ているものの、内部の広さや安置されている仏像の完成度の高さなどは残念ながら見劣りする。また東寺では内部に入って細部まで拝観できるが、仁和寺の塔は外側からのみの拝観。しかも風雨避けとは思うが、透明なアクリル板 (?) が全ての入り口に貼られているため、アクリル板への外部の写り込み多く見にくくてがっかりした。
「経蔵」は普段人の出入りが少ないせいか、彩色がきれいに残っているのは印象的。だが、「八角輪蔵」はかつてはよく利用されていたのか、回転させるための持ち手の色が剥落し、下部の彫刻も所々損なわれている状態。また普賢菩薩の腕が壊たれて抜けていたりと、随所に傷みが見られた。
<参考資料>
・ 「第59回 京の冬の旅:仁和寺 経蔵・五重塔」 パンフレット
・ 「文化遺産データベース」文化庁 ・ 「文化遺産オンライン」文化庁
・ 『回して得る仏の功徳 (時の回廊):仁和寺の「経蔵」 京都市』 日本経済新聞 2015年2月13日