鎮魂と祈りの桜 “陽光”

総記,京あれこれ

 今年も近所の街路樹 “陽光桜" が、ソメイヨシノより一足早く満開を迎えて、道行く人々の目を楽しませてくれている。一重咲ながら大輪の花とその濃桃色のため、「八重咲?」と思ってしまうような華やいだ美しい桜だ。しかしその華やかさの陰には、“陽光桜" の産みの親 高岡正明氏 の深い悲しみと平和への祈りがあった。

陽光桜

<"陽光桜" 誕生秘話>
 “陽光桜" の生みの親 高岡正明氏は、1909 (明治42) 年に愛媛県川内町 (現在の東温市) に誕生。戦時中、青年学校の教師をしていた高岡氏は、教え子達に「日本は強い国だから、戦争に負けることはない。祖国のために戦い、帰ってきたら再び桜の木の下で会おう」と言って彼らを戦地に送り出した。しかし1945 (昭和20) 年、日本は敗戦国として終戦を迎えた。教え子達が遠い国で命を落としたという知らせが次々と届くにつれ、高岡氏は自責の念に駆られると同時に、「二度と悲惨な戦争を繰り返してはならない」と深く心に誓った。
 戦後、果たせなかった約束「桜の下での再会」を思い、高岡氏は暑い国でも寒い国でも花を咲かせることができる新しい桜の品種開発に生涯を賭けることを決意。長い歳月と多くの私財を投げ打って「どんな気候でも花が咲き、病気にも強い樹勢の良い品種」の開発のための苦しい挑戦が続けられた。
 1972年、白色の「天城吉野」とピンク色の「台湾緋桜」を用いた人口受粉がやっと成功し、1975年には紅色の美しい花が咲いた。その桜は寒さや暑さ、病気にも強い高岡氏が求めた「新しい桜」だった。“天地に恵みを与える日の光” という意味の「陽光」と命名された桜は、1981年に種苗法に基づいて品種登録がされた。
 その後、高岡氏は世界平和のシンボルとして、弘法大師ゆかりの中国西安やローマ法王庁に苗を寄贈。高岡氏は2001年に享年92歳で逝去されたが、その間に日本や世界各地に贈られた “陽光桜" は、5万本を超えたという。高岡氏の没後、御子息の高岡照海氏がその遺志を継いで現在も “陽光桜" を贈り続けている。亡父に送られてきた手紙には、「陽光のやさしい色合いが魂を慰め、癒してくれます」といった感謝の気持ちが綴られていたという。

 2004年には「東洋のシンドラー」と呼ばれた外交官杉原千畝氏ゆかりのリトアニア、2011年には戦争の激戦地となったタイ、カンボジアそして2016, 17年にはミャンマーにと植樹は続けられている。
 2015年、高岡氏の “陽光桜" 誕生にかけた生涯が 『陽光桜:非戦の誓いを桜に託した、知られざる偉人の物語』  (高橋 玄 著, 集英社刊) として出版。同年、原作は終戦70周年記念映画 『陽光桜 -YOKO THE CHERRY BLOSSOM- 』 (監督・脚本・製作総指揮:高橋 玄、主演:笹野高史・的場浩司・宮本真希) として映画化・公開された。

陽光桜咲く並木道

 折しも今年2025年は、終戦後80年になる。今も世界では戦争が続き、多くの犠牲者が辛く悲しい日々を送っている。また “陽光桜" が植樹されたミャンマーやタイでは、先頃の大地震によって多くの被災者が不安な生活を強いられている。一方日本では、毎日のように桜の開花情報や花見で賑わう観光地のニュースが報じられて平和そのもの。しかし当たり前のことと思うささやかな日々の幸せも、実は常に危うさの中にある、そんなことを考えさせられる “陽光桜" の物語だ。

<参考資料>
・ 陽光桜 「鎮魂と平和」 交流協会 website        ・ 『陽光桜:亡き父 桜への想い』 遠赤青汁 website
・ 『平和への願いをこめた陽光桜』  日本赤十字社
・ 映画 『陽光桜-YOKO THE CHERRY BLOSSOM-』 2015年, グランカフェ・ピクチャーズ配給
・ 『桜図鑑』  公益財団法人 日本花の会