出町妙音堂 (上京区桝形通東入青龍町)

京都・寺社

 鴨川に架かる出町橋を西に向かうと、橋の袂に石の鳥居が見える。鳥居には「妙音天」の扁額が掛かり、神社かと思うが、実は臨済宗相国寺の塔頭 大光明寺の飛地境内になる寺院。
 正式名称:「青龍妙音弁財天」
 本 尊:絹本着色辨財天画像 (鎌倉時代作)
 古くより地元の人々からの信仰篤く、「出町の弁天さん」「妙音堂」などと呼ばれ親しまれている。
 * 京洛七福神めぐり、京都七福神めぐりのひとつ (弁財天)

<歴 史>
 鎌倉時代:嘉元4 (1306)年、左大臣 西園寺公衡 (きんひら) と藤原兼子の娘 寧子 (やすこ/ねいし) が、女御として持明院統の後伏見上皇の後宮に入る。その際に、西園寺家第二伝の「青龍妙音弁財天」画像を念持仏として持参。
 南北朝時代:この画像は、後伏見上皇の第三皇子 (母は寧子) で、北朝初代天皇となる光厳天皇から光明、崇光天皇、さらに皇子で伏見宮家の始祖となる栄仁 (よしひと) 親王へ伝えられ、伏見殿内に祀られてきた。
 江戸時代:享保年間、15代 (14代?) 貞建 (さだたけ)親王の時に伏見宮邸が河原町今出川下る東側に移転し、本尊も奉遷される。19代 (18代?) 貞敬 (さだよし) 親王 (1775-1841) によって邸内が一新され,妙音堂も再建。以来庶民の参拝も許されるようになった。
 明治時1869 (明治2) 年 東京遷都後、宮家の東京移住に伴い妙音堂も東京に遷座。しかし1901 (明治34) 年、旧信徒再三の懇請により、旧宮邸に近い現在地に堂宇を建立し奉安されることとなった。

拝殿

<境 内>
 [拝 殿]
 鳥居をくぐると右手に手水舎があり、その奥に瓦葺きの拝殿がある。「妙音堂」の扁額が掲げられ、「妙音辨財天」の提灯も掛かる。参拝してお堂内をよく見ると、中央にトグロを巻いた双頭の「阿吽の白蛇」像が祀られている。手前には御本尊の写真とともに、由来やご利益などが書かれた案内が置かれている。拝殿裏側の軒下には奉納された蛇の絵なども飾られている。

 [六角堂 (本堂)]

六角堂

 拝殿奥には、二層の屋根と側面に花頭窓のある白い楼閣のような独特な六角堂が建つ。こちらが本堂で、1901 (明治34) 年に御本尊が東京から出町に遷座された時に建立されたという。天井に龍が描かれた堂内には弘法大師筆と伝える御本尊「辨財天画像」(通常非公開) を安置する厨子があり、その前に白木造りの弁財天のお前立ちが安置されているという。
 ただし、御本尊は現在「相国寺承天閣美術館」に寄託されており、春の大祭と巳の日法要、お火焚祭の時には御本尊の写しが公開される。
 御堂前にはお参りの仕方として「時計回りに、めぐる数:本来は年の数、もしくは3回か、7回か11回、21回」と案内がある。

 [豊川稲荷社]

豊川稲荷社

 境内南東角にあるのが「豊川稲荷社」。朱の鳥居には「豊川稲荷大明神」の扁額が掛かり、本殿には「南無豊川吒枳尼真天 (なむとよかわだきにしんてん)」と書かれた赤い提灯も掲げられている。狐の置物も祀られていて、一般的な「狐を祀った神社」と思ったが、どうも少し違うらしい。本殿前に「豊川稲荷 御真言 七回返し」の作法の仕方と御真言「オン シラバッタ ニリウン ソワカ 唵尸羅婆陀尼黎吽娑婆訶」が書かれた紙が貼られていた。

 *「豊川稲荷社」について
 愛知県豊川市にある「豊川稲荷」。実は正式には「圓福山 妙嚴寺」と称する曹洞宗の寺院。寺伝によれば、鎌倉中期の曹洞宗の禅僧「寒巌義尹 (かんがんぎいん)」が、二度目の入宋の帰途にあった時、霊神が空中に姿を現したという。霊神は稲束を荷い、手に宝珠を捧げ、白狐に跨って真言を唱えながら「われは吒枳尼真天なり。この神咒をもってすれば、必ずや護法を約束しよう。」と誓った。帰朝後、寒巌禅師は自ら霊神の姿を刻み、護法の善神として祀り真言を唱えたという。

 *「吒枳尼」について

“ハートマーク"のあるご神木

 「吒枳尼」は「荼枳尼」「荼吉尼」とも表記され、「吒天」とも呼ばれる。梵語 “Ḍākinī" (ダーキニー) を音写したもので、ヒンドゥー教あるいはベンガル地方の土着信仰から仏教に導入された。大乗仏教では夜叉または羅刹とされ、やがて仏法の守護神「羅刹天」ともなる。日本に伝来してからは、次第に在来の農耕神としての狐神信仰と習合し、一種の「福神」として民間に広まっていった。それに伴い、姿も白狐に乗った天女の姿で描かれるようになった。
 因みに「きつね」と言えば「伏見稲荷大社」だが、元禄時代より幕末まで、「伏見稲荷大社」には復興のための本願所として「愛染寺」という寺院があった。「愛染寺」にも「吒枳尼天」が祀られていたが、初代住職の天阿 (てんな) 上人が、滋賀県長浜市にある「神照寺」(真言宗系) の第11代住職に就任するに伴い同寺に遷されたようだ。現在は「神照稲荷」として祀られている。

 

拝殿
双頭の蛇
拝殿 蛇の絵
手水舎

 

 

 

 

 

<参考資料>
・ 上京区の史蹟百選 Aエリア  『妙音弁財天』  上京区役所ホームページ
・  「京極れきし再発見」 でまち倶楽部 京極歴史探偵団        ・  「出町の名所旧跡」  出町こだわりガイド
・ 【高精細複製】 相国寺塔頭大光明寺 掛軸一幅    DNP website, “導入事例"
・ 「よくあるご質問」  伏見稲荷大社 website       ・  真言宗智山派 日出山神照寺  website
・  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』