妙光寺 (右京区宇多野上ノ谷町)

京都・寺社

福王子神社西側の道を北に向かうこと数分。右手に宇多野小学校が見え、隣接する北側の山麓に妙光寺はひっそりと佇む。散歩途中で見つけた寺院だが、美しい紅葉に誘われてちょっと境内に入れていただいた。門の近くには立派な由緒書きがあるが、境内には人影もなくただただ静か。紅葉を眺めていると…方丈に通じる石段を一匹の猫がトコトコと下りてくる。とても人懐こい猫で、初めて出会った私にも体をスリスリ。さぞかし可愛がられているのだろう。
さて「妙光寺」だが、京十刹の歴史と景観を今に伝える稀有な事例として、平成23年(2011)に方丈が京都市有形文化財に、平成24年(2012)には境内のほぼ全域が京都市史跡に指定された古刹ということだ。その歴史は鎌倉時代に遡り、弘安8年(1285)、内大臣・花山院師継が長子の死を悼み、その山荘を寺院として心地覚心を開山に迎えて創建。南北朝時代には、後醍醐天皇が三種の神器と共に妙光寺に逃れていたこともあるという。応仁の乱で廃れるが、江戸時代に建仁寺の三江紹益が豪商・糸屋の打它公軌らの財政的支援を得て再興。末寺塔頭を複数かかえる大寺院として栄えるが、幕末の変革期に勤王派の一挙点となっていたことから、ほとんどすべての塔頭が新選組の焼き討ちを受け焼失。その後無住となっていたが、平成16年(2004)より、本山建仁寺によって寺域の整備が行われ復興途上にあるようだ。
現在建仁寺が所有する「風神雷神図屏風」(国宝)は、打它公軌が、妙光寺再興の際に俵屋宗達に製作を依頼し、その後、建仁寺に移されたとされている。また昭和41年(1966)には、寺内に野々村仁清の墓も見つかっている。
埋もれた京都の寺院にも古い歴史があるものだとつくづく思う。次はゆっくりと拝観させていただこう。