『死者の書・身毒丸』
古代研究家・折口信夫が著した小説『身毒丸』と『死者の書』および自作に寄せた折口自身の解説『山越しの阿弥陀像の画因』を所収。
『身毒丸』(大正6年発表)
9歳で田楽師の父親と別れた身毒丸(しんとくまる)は、住吉の神宮寺に付属する田楽法師一座に養われて旅芸人となり今は17歳。美しい若衆に成長した身毒丸に深い愛情を感じていた師匠源内法師は、伊勢の関の長者の娘が身毒丸を追って家出してきたことを知り、激しく怒り身毒丸を折檻。芸道のため龍女成仏品を血書することを命じられた身毒丸は、何度もの書き直しで憔悴しきる。5度目の写経を終える頃、源内法師は自身の内にある身毒丸に対する滾るような思いへの罪悪感からもはや叱ることをやめた。
折口は「附言」で、この物語が高安長者伝説から宗教倫理の方便風な分子をとり去って「最原始的な物語」に帰していると述べている。私には折口と養子・春洋の姿が作品の向こうに透けて見えてしまうのだが…。
『死者の書』(昭和14年発表)
天武天皇崩御後、謀反の疑いにより無念の死を遂げた大津皇子が二上山に葬られてから百年ほど経た大和は当麻の里。ある夜、皇子の魂が目覚め、横佩(藤原南家)郎女の閨を訪れる。郎女は憑かれたように夜を彷徨い、いつしか女人禁制の万法蔵院の門前で朝を迎えていた。「神隠し」にあったとしてそのまま当麻の里で暮らすことになった郎女は、彼岸中日の夕べ、二上山の山の端に沈む夕日に阿弥陀仏を見る。やがて郎女は藕糸(蓮の糸)で織った布の上にその光景を描くが、それはさながら曼陀羅となっていく。周りの者達が身じろぎもせずに曼陀羅に見入る中、郎女は静かに姿を消していく。
當麻寺の観無量寿経浄土変相図(古曼陀羅)にまつわる中将姫の伝説を中心に、大津皇子の物語、そして奈良の都での大伴家持や惠美押勝の交流が、時間と空間を超えて重層的に描かれている。そこには紛れもなく折口の「マレビト」の世界がある。
先日偶然にもテレビで二上山に沈みゆく美しい夕日の映像を見、横佩郎女になったような心持ちがした。當麻寺は以前より一度訪れてみたいと思っていたが、ますますその思いが強くなった。古より行われている「日想観」(西の空に沈む夕日に向かい西国浄土を想うだけで、仏の教えを体感できるという修行)が『死者の書』には反映されているように思える。
* 『死者の書 身毒丸』 折口信夫著 中央公論新社, 2006.10 改版9刷 (中公文庫)