広沢池(ひろさわのいけ)
大覚寺の東に位置する広沢池は、大沢池とともに奥嵯峨の観月の名所として知られているが、桜の頃も美しい。日本三沢池の一つに数えられ(他の二つは奈良の「猿沢池」と大分県宇佐市の「初沢池」)、農林水産省の「ため池百選」にも選ばれている。
京都市の説明では、平安時代中期に宇多天皇の孫の寛朝僧正が、池の北側(遍照寺山麓)に遍照寺(へんじょうじ)を建立する際に庭池として造営したとのこと。そのため別名「遍照寺池」とも呼ばれる。また一説には、平安時代以前より嵯峨野一帯に大きな勢力を持っていた秦氏が、農業用の溜池として開削したとも言われる。山の名も古くは秦氏支族の朝原氏に因んで「朝原山」とも称されるらしい。また「嵯峨富士」と呼ばれることも。
池を囲むように桜が植えられており、水面に映る「遍照寺山」と淡い桜色のコラボがとてもきれいだ。池の東岸から西を見れば、愛宕山から小倉山へと続く山並みも、所々桜色に染まっている。
池の南堤を西に少し歩くと道路沿いに小さなお地蔵さま。さらに南西角には、遍照寺所縁の児神社が鎮座している。池の西岸には桜の他にも柳や楓が植えられ、鶯が澄んだ声でのどかに鳴いている。サギやカモも羽を休め、池にはアメンボがスイスイと泳ぐ。西方を眺めれば畑が北の山裾まで広がり、そのさらに西には大覚寺のこんもりとした森。春の陽光の下、自然溢れる景色を眺めていると、この地を別荘地として選んだ平安貴族の気持ちがそこはかとなくわかるような気がする。
往時の遍照寺は、観音堂、月見堂、釣殿、潜龍亭(旧大覚寺の観月亭)などが立ち並ぶ大伽藍であったらしいが、寛朝僧正没後、次第に衰微。現在は広沢池から南に300メートルほど行った所に堂宇を構える。1990年代に、池の西北岸に創建時の基壇状遺構が残存していることが確認されて、京都市史跡に指定された。また西岸には、明治時代に往時を偲んで築造された人工の島「観音島」があり、高さ160cmの十一面千手観音石像が安置されている。この観音さまは、池の東に見える音戸山山上にかつてあった蓮華寺(現在は仁和寺の東に移る)の石仏群から遷されたものらしい。島の先端には壹美白辨在天社の祠もある。