伴氏社 (北野天満宮末社) (上京区馬喰町)
北野天満宮三の鳥居の西側付近に菅原道真の母を祀る末社「伴氏(ともうじ)社」がある。古い石鳥居の奥に樹木に囲まれるようにして、一間社流造・銅板葺きの小さな社殿が鎮座している。鳥居は鎌倉時代の作とされ、国の重要美術品に指定されている。額束が島木を貫通して笠木に達しており、柱の土台が単弁蓮弁座になっている珍しいものとして「京都三珍鳥居」のひとつに数えられる。土台の蓮弁は長い時の流れによって風化が進んでいる。因みに他の二つは、京都御苑の「厳島神社」と太秦の「木嶋神社(蚕ノ社)」の鳥居。
菅原道真の母親が大伴氏の出身であることから伴氏社と称される。暖かい愛情を持ってしっかりと子どもを育てた道真の母親にあやかり、子どもの健やかな成長と学業成就を願う母親達が参詣に訪れると聞く。
道真元服の折に母親が詠んだ歌が
久方の 月の桂も 折るばかり 家の風をも 吹かせてしがな (拾遺473)
大いに名を上げ、学問の家としての一族の名を高めてほしいと願った母親の期待に、道真はどんなことを思ったのだろうか…。
また、かつてここには石造りの五輪塔(「忌明塔(きあけのとう/いみあけのとう)」)が置かれていたが、明治の神仏分離政策で南隣の「東向観音寺」に移されている。
【伴氏(ともうじ, ばんし)】
元は大伴氏と名乗り、5世紀から9世紀にかけて繁栄した有力氏族。初めは連(むらじ)姓だったが、天武天皇の時代に宿禰(すくね)姓を賜う。物部氏とともに大和国家の軍事を担当し、政治面でも活躍した。壬申の乱(672年)の時には大海人皇子方につき、8世紀には安麻呂、旅人、家持等多くの高官を輩出。しかし藤原種継暗殺事件(785年)の首謀者として家持が生前の官位を剥奪されるなどして急速に衰微。823年、淳和天皇(大伴親王)が即位するとその諱を避けて伴(とも)と氏を改めた。承和の変(824年)・応天門(866年)の変などで藤原氏に敗れて以降没落。