平岡八幡宮 (右京区梅ヶ畑宮ノ口町)

京都・寺社

平岡八幡宮 石鳥居平岡八幡宮 本殿福王子神社からバスで7, 8分ほど周山街道を北上すると、右手に平岡八幡宮の大きな石鳥居が見えてくる。鳥居をくぐって少し進むと、やがて参道は両側に植えられた高雄もみじの木陰の中に。右手にある社務所を通り過ぎれば、拝殿は石段の上。
梅ヶ畑は古くは梅の産地として知られ、この地の産土社である平岡八幡宮は「梅ヶ畑八幡宮」とも称される。山城国最古の八幡宮で、祭神は誉田別命(ほむたわけのみこと, 応神天皇)。

 歴史は古く、大同4年(809)に弘法大師(空海)が、神護寺の守護神として、豊前(大分県)宇佐八幡宮から勧請したことに始まると伝えられる。空海自らが描いたという僧形八幡神像をご神体とした。平安時代末期に一時期廃絶となるが、神護寺を再興した文覚により再興され、鎌倉時代に文覚の高弟・浄覚(上覚)により現在地に移される。室町時代の応永14年(1407)、社殿が焼失し再び荒廃するが、将軍足利義満により再建される。花の天井(写真)
 文政9年(1826年)、第120代・仁孝天皇の命により現在の社殿が再建された。明治維新後、神仏分離令による廃仏毀釈で神護寺から独立。2000年には京都市内に現存する数少ない切妻造本殿の一つとして、京都市の有形文化財にされている。また本殿天井には、画工・綾戸鐘次郎・藤原之信によって44面の花卉図が描かれ「花の天井」として有名で、春と秋には一般公開される。

【椿の小径・地主社】
「椿の小径」参道途中の左手には、「椿の小径」があり参詣者を「地主社(じぬししゃ)」へと導く。地主社祭神は「大地主大神(おおとこぬしのみこと)」で創建以前より梅ヶ畑に祀られている土地を守る神とのこと。また平岡八幡宮は、椿が自生する名所として古くから知られており、特に「白玉椿」は、願い事をすると一夜で白い花が咲いて願いが成就するという言い伝えもあるらしい。

「地主社」近くの石段を下りていくと、御神木のツブラジイの巨木がまさに聳えるように立っている。樹齢500年とも600年とも言われる古木で、京都市内最大の幹周りとのこと。御神木(ツブラジイ)

【三役相撲】
 拝殿前の石段下には土俵がある。これは毎年10月に行われる祭礼「三役相撲」の折に使われるもののようだ。「三役相撲」とは、江戸前期にはすでに記録が残るという古い神事相撲で、現在は小学3年生の子どもが務める三役と、20歳前後の青年が相撲をとり、神の加護を受けた子どもが必ず勝つという神事。京都市指定の無形民俗文化財として登録されている。

【さざれ石・為朝の試し石】平岡八幡宮 拝殿と土俵「さざれ石」
 本殿向かって右手に「さざれ石」が、そして左手には「為朝の試し石」が置かれている。
「さざれ石」「山の神石」とも呼ばれるさざれ石で、獅子の形にも見えると言われる。江戸時代の『都名所図会』にも「神殿傍らに大石あり」と記されている。
「為朝の試し石」弓の名人・鎮西八郎為朝(源為朝)が射抜いたと伝わる石。今は、京都出身で『京鹿子』を創刊した俳人・鈴鹿野風呂の句碑にもなっている。野風呂の句「眞開らきの龍胆(りんどう)玉の如き晴れ」が刻まれている。