愛宕念仏寺 (2) (右京区嵯峨鳥居本深谷町)

京都・寺社

愛宕念仏寺 仁王門奥嵯峨の愛宕神社 一ノ鳥居のさらに北にある「愛宕(おたぎ)念仏寺」は、「千二百羅漢の寺」として知られる古刹。山間を切り拓いて築かれた斜面の多い境内の至る所に、一般の人々の手になる羅漢石像が所狭しと並べられている。

【羅漢洞】
仁王門を入った右手にあるのが「羅漢洞」と名付けられた通り抜けできる建物。通路壁面には、羅漢石像の写真や境内を描いた絵などが飾られている。建物上層階には、前住職の西村公朝氏による蓮華蔵世界の天井画、室内には同じく公朝氏作の木造釈迦十大弟子像が安置されている。

【三宝の鐘】三宝の鐘
「羅漢洞」を出て階段を上った先に見えるのが鐘楼。朱塗りの立派な鐘楼には、三つの鐘が吊り下げられている。それぞれの鐘には「仏・法・僧」の文字が刻まれていて、中央には橦木。三つの異なる鐘の音が奏でる音律によって、仏の心が世界に伝えられていくという公朝氏の想いが籠る鐘。音楽家でもある現・住職の西村公栄氏の意向が反映されているのかも。

【ふれ愛観音堂】
ふれ愛観音堂鐘楼からさらに階段を上っていくと、右手に本堂が見える。そして境内東側には、二層の堂宇「ふれ愛観音堂」が建つ。お堂の両側にも羅漢さん。「おこしやす」と導かれるように中に入ると、ふっくらとした穏やかな表情の「ふれ愛観音」がお出迎え。ふれ愛観音こちらの観音像は、「目の不自由な人たちに仏との縁を結んでもらいたい」という先代・公朝住職の思いから生まれた仏像。誰でも手で触れて拝むことができるので、顔から肩にかけて、そして合掌する両手は黒く光り輝いている。触れることによって人々の心身の痛みを癒してくれる仏様とのこと。良縁成就のご利益もあるということで、壁面には多くの絵馬が掛けられている。

本堂前から多宝塔を見る【多宝塔】
本堂の西側にある階段の両脇にも羅漢さん。そして階段を上った先にあるのが多宝塔。中央には大きな釈迦如来石像。大勢の弟子達に囲まれて説法をする釈迦の姿を模したものか。釈迦の右には伝教大師像。

【虚空蔵菩薩立像】
多宝塔向かって右手のさらに高い奥まった所には、光り輝く虚空蔵菩薩立像が…。そこに辿り着くためには、小さな石橋「愛染橋」を渡ってまた階愛染橋段を上っていく。両側に並ぶ羅漢像群は、虚空蔵菩薩に会いにいく人をまるで見守っているようだ。「虚空蔵菩薩」とは、宇宙のすべてのものを蔵する虚空のように、無量無辺の福徳・知恵を具え、人々にこれを常に与えて諸願を成就させる菩薩のこと。左手に宝珠をのせた虚空蔵菩薩の横に立ち、来た道を見下ろすと、遥か下の仁王門から境内の堂宇、そして数々の羅漢像が一望できる。

【西村公朝氏 (1915-2003)】虚空蔵菩薩立像
 大阪府高槻市生まれ。彫刻家を志して1935年に東京美術学校に入学。卒業後は私立大阪工科学校の美術教師となる。1942年の中国出征中に仏像修理者としての道を改めて誓い、46年1月に復帰。1952年に青蓮院で得度して公朝の法名を授かると同時に、戸籍名も公朝に改めた。以後、仏教の研学にも努め、55年には愛宕念仏寺の住職となった。59年に美術院国宝修理所所長となり、68年に美術院の財団法人化を実現させた。
 “現代の円空”と言われ、仏像彫刻家であるとともに仏像修理の第一人者。三十三間堂千手観音像をはじめ全国各地の国宝、重要文化財約1300躯の仏像修理に携わる。仏教の真髄を慈悲と見なしその教えを体現するために、伝統的な図像には必ずしも則らず、むしろそれを昇華し簡略化した親しみやすい仏像表現を追求した。

愛宕念仏寺は、仏師であり僧侶でもあった前住職・西村公朝氏が会得した仏教世界を具現化した場所のように思われた。このように住持の篤い思いが伝わってくるお寺は、今時滅多に無いのではないか。幽谷の地と喩えたくなるような境内で、静かに空を眺め、風の音や鳥のさえずりに耳を澄ましていると、心が静かに穏やかになってくるような気がする。

《参考資料》
・愛宕念仏寺 参拝栞
・東京文化財研究所 HP