梅宮大社 (2) (右京区梅津フケノ川町)
桂川の東岸、松尾橋近くにある梅宮大社は、始まりが奈良時代にまで遡るという古い神社。酒造守護・子授け安産守護の由緒ある神社だが、梅の名所としても知られている。本殿の東、北、西の周囲三方を囲むように作庭された「神苑」では、梅を始めとして多くの樹木や草花を四季折々に楽しめる。
【神 苑】
梅宮大社の神苑は「東神苑」「北神苑」「西神苑」の三つに分かれた池泉式庭園で、敷地面積は約10,000㎡とかなり広い。江戸時代に作庭されたようだ。
[東神苑]
社殿が再興された元禄年間に最初の整備が行われ、当時の広さは現在の半分ほどだったようだ。その後、明治から大正にかけて拡張され、昭和40年代後半には池の改修とともに「北神苑」と「西神苑」も整備されて現在のようになったとのこと。
「東神苑」は、本殿祭神の一柱「木花咲耶姫命」に因んだ「咲耶池」を中心とした庭で、池の周りには杜若や花菖蒲が咲く。そして回遊路に沿って霧島つつじや皐月、楓が季節を彩る。池の中島には、江戸末期の嘉永4(1851)年に建てられた茶席「池中亭(ちちゅうてい)」があり、池の南側から見ると嵐山を借景とした池のほとりの茅葺きの建物がなんとも風雅。
近くには「夕されば 門田の稲葉 訪れて 芦のまろやに 秋風ぞ吹く」(大納言源経信)の歌碑。碑に刻まれた書体は藤原定家直筆のもので、「池中亭」の屋根の形が往時の「芦のまろや」の姿を今に伝えているとの説明札も添えられている。この歌は、源師賢の梅津 (現在の京都市右京区梅津) の山荘に貴族たちが招かれた時に行われた歌会で披露されたもので、平安貴族のロマンを感じる。
また、池の東側を通って「池中亭」に向かう通路の池岸には、別のお茶室がある。昭和天皇の即位式の時の茶室を、昭和9(1934)年に下賜されたもので、「参集殿」と呼ばれている。
[北神苑]
「参集殿」を右手に見ながら小径は本殿の北側にある「北神苑」へと参拝者を誘う。勾玉様に造られた「勾玉池」を中心に配する「北神苑」では、池の周囲に八重桜のトンネルがあり、池のほとりには花菖蒲も多く植えられている。
[西神苑]
竹で囲まれた「西神苑」は、「梅宮大社」のシンボル「梅」の苑となっている。現在約35種450本の梅が境内全域に植えられているとのことで、三月下旬には遅咲きの梅と山桜が同時に見られるようだ。梅の下生えには水仙が植えられている。
江戸時代の国学者 本居宣長は、当神社に梅の献木をし、その折に「よそ目にも その神垣と みゆるまで うえばや梅を 千本八千本」と詠んだという。
平安貴族の憧憬の地の趣を今も残す「東神苑」を中心に、一年を通して様々な花々のある自然の風景を楽しませてくれる庭園だ。
【磐座(いわくら)】
境内東南に比較的最近になって祀られたと思われる「磐座」がある。駒札によれば、梅宮大社の門外に祀られていたものを、昭和59(1984)年の道路整備の際に現在地に遷されたという。祭神は「天の宇受売の命(あまのうずめのみこと)」と「猿田彦の神(さるたひこのかみ)」。梅宮大社すぐ近くには「千代の古道」もあり、この辺りは平安時代には多くの貴族が往き交う所だったのかもしれない。
【西梅津神明社】
楼門 (随身門) に向かって左手に、まだ新しい神社が鎮座している。本瓦葺きの門の奥には、石の鳥居が見える。門には「西梅津神明社」とある。梅宮大社の末社で、「天照大神」と「豊受大神」の二柱が祭られている。平成24(2012)年に、旧西梅津村の神明社が遷されたとのこと。この周辺も土地開発に伴い徐々に古の風情がなくなっているようだ。
【猫の寺】
梅宮大社は昨今の全国的「猫ブーム」によって、にわかに「猫のお寺」として知られるようになっている。NHKの『岩合光昭の世界ネコ歩き』で、この神社で飼われているネコ達の四季折々の様子が放映されて以来、猫好きな人達が多く訪れるようになったと聞く。境内のそこかしこに猫の姿が見られ、またその様子がなんとも自然なのが微笑ましい。
<参考資料> 『梅宮大社由緒略記』, 梅宮大社 HP , 『京の庭を訪ねて』京都市都市緑化協会HP