将軍塚青龍殿 (山科区山科厨子奥花鳥町)
青蓮院の飛地境内である将軍塚青龍殿は、東山ドライブウェイの東山山頂公園から歩いてすぐの所にある。三条京阪からバスが出ており、青蓮院本院からは東山トレイルコースで徒歩30〜40分程。八坂神社のちょうど東に位置する。
3月にしては暖かい陽気だったが、訪れている人は少なくゆっくりと景色を満喫できた。
【将軍塚】
将軍塚(直径約20m・高さ約2mの円墳) は、桓武天皇が和気清麻呂に伴われてこの地に登り、平安京造営を決めた際に、高さ8尺(約2.5m) の土の人形に甲冑を着せ、弓矢を持たせて都の方を向けて埋めた塚であると伝えられている。ただこの付近にはもともと古墳時代の円墳3基があり、将軍塚はそのうちの一つらしい。
また、『平家物語』や 『源平盛衰記』、『太平記』などには、国家に大事ある時には将軍塚が鳴動したと記されており、太平洋戦争の時には高射砲の陣地になったという。「戦(いくさ)」に関係が深い場所らしく、東郷元帥、黒木大将、大隈重信といった人物のお手植えの松と記念の石柱が境内のあちこちにある。
【青龍殿】
東山山頂公園駐車場から真っ直ぐ続く道の先にある福徳門を入ると、右手に受付があり、その奥に「青龍殿」がある。建立は新しくて平成26(2014)年10月。
「青龍殿」の元は、大正2(1915)年に大正天皇の即位を記念して、「大日本武徳会京都支部武徳殿」(武徳殿)として北野天満宮前に建立された建物。戦後の昭和22(1947)年、京都府に移管されて警察の柔道剣道の道場「平安道場」となるが、老朽化に伴い平成10(1999)年には閉鎖・解体処分が決まった。しかし歴史的文化遺産の継承を考えた青蓮院が、平成21(2009)年、武徳殿を国宝「青不動」を祀る大護摩堂「青龍殿」として東山山頂の将軍塚に移築再建することを決定。
「青龍殿」の外観はとても新しく見えるが、中に入るとかなり大掛かりな修理・補修が行われたことがよくわかる。武道場の名残のある床の奥に護摩供の祭壇が設けられ、さらに向かって左手奥に国宝「青不動」の精密複製画と大日如来の石造坐像が安置されている。通常の寺院と異なり建物の三面から光が入ってくるので、とても明るい。
【国宝「青不動」】
平安中期の11世紀頃に制作されたという仏画「絹本著色不動明王二童子像」(通称「青不動」)」は、昭和27(1952)年に国宝に指定されたが、長らく奈良国立博物館に寄託されていた。しかし「青龍殿」の完成に合わせて青蓮院に戻され、今は奥殿に安置されており、普段は手前に祀られた複製を拝することになる。
縦203㎝、横149㎝の大きな絹本礼拝画は、茶褐色の地色の画面中央に濃青色の不動明王が岩に坐し、左右には「制叱迦童子(せいたかどうじ)」と「矜迦羅童子(こんがらどうじ)」の二童子が配されている。平安時代には国家安泰や皇室安寧を祈願して、不動明王像が多く描かれたようだが、現存する平安時代の仏画の最高傑作と言われ、日本三不動画*のひとつに数えられている。制作経緯や作者(玄朝または円心かと推定されている)については謎の仏画。
*日本三大不動画:青蓮院の青不動、高野山の赤不動、園城寺(三井寺)の黄不動
残念ながらかなり離れての拝観となるので、表情や意匠などの細かな部分についてはよくわからない。
【大舞台】
青龍殿の移築に合わせて、裏手(北側)には、清水寺の舞台の4.6倍の広さ(延面積:1046㎡) を誇る「木造大舞台」が新たに設けられた。
大舞台からは、東は五山送り火で有名な大文字山から西は嵐山、洛西方面まで京都の街を一望することができる。地元観光タクシーの運転手の人達からは「京都随一の絶景スポット」と言われているとか。また将軍塚の西側には鉄骨造りの展望台があり、こちらからは大阪方面まで眺望することができる。
空に円を描くように悠々と羽を広げて飛翔するトビを眺めていると、爽快な気分になる。それにしてもここから眺めると…京都は本当に盆地なんだ!
【庭 園】
西の展望台からの景色を楽しんだ後、拝観順路は青龍殿落慶に合わせて改修・整備された庭園へと続く。
木造の簡素な門をくぐり生垣に沿って敷石の道を進んで行くと、桜やモミジの樹木にクマザサやサツキなどの低木がバランスよく配置された庭が開ける。鶯のきれいな鳴き声に耳をすませていると、小川のせせらぎのような水音も聞こえてくる。小さな石組みの滝が巧みに配されている。中央に将軍塚を借景にした四阿を設けてあるのも心憎い。そしてこれまでの回遊式庭園を背にしてモミジの植えられた園路をさらに進むと、今度は枯山水庭園が待っている。
白砂の海に浮かぶ石の島々。石の架け橋もある。周りにはモミジの樹々。観る位置によって変化する様相を楽しむことができる。
モミジと桜はそれぞれ200本ほど植えられているとのことで、春と秋にはライトアップもされるようだ。