東山山頂公園 (東山区粟田口高台寺山町/山科区厨子奥花鳥町)
東山区と山科区の境界にある東山山頂公園は、1960年の東山ドライブウェイ(当時は有料) 開通に伴い開設された公園。東山の華頂山の山頂付近に位置するようで、駐車場とは反対側 (将軍塚青龍殿の方) に、京都市街地を見渡すことができる展望台がある。
訪れた日は暖かく、駐車場の河津桜が今を盛りと咲いていた。きれいな濃いピンクの花色が艶やか。
展望台への入り口は、今はすっかり樹々の枝に覆われて昼間でも薄暗い感じだが、奥に進むと景観がサッと開ける。京都タワーがくっきりと見え、はるか遠くには大阪方面まで眺められる。青龍殿の大舞台に西展望台、そしてこの展望台と少しずつ違った方角の京都の街を俯瞰できるのはなかなか楽しい。「日本夜景遺産」に指定されていて、デートスポットであるのも納得。
広い公園にはトイレや休憩所もあり、京都一周トレイルの道標21もすぐ近くなので、様々な人達に利用されている公園らしい。
[将軍塚青龍殿追記]
「将軍塚青龍殿」は平成26(2014)年の落慶以前は、「将軍塚大日堂」と呼ばれていたようだ。
青龍殿に行った時、「顕廣主」で始まる大きな石碑があるのが気になり、少し調べて見た。京都市歴史資料館の『いしぶみデータベース』によれば、将軍塚近くに近世までは青蓮院に属する「大日堂」があり、大日如来像が祀られていたという。明治40(1907)年、第四代中井三郎兵衛(慈眼居士)(三井家別家の養子で明治京都の実業界で京都四天王と呼ばれた)が、将軍塚山上で石造大日如来像を発見し,翌年に像を安置する大日堂を再建。
この再建供養の式に出席した政治家の九鬼隆一(男爵, フェノロサや岡倉天心とも交流あり)が、大日堂再建の経緯等について刻んだのが先の碑だった。九鬼は石仏について「大方平安奠都後程遠からぬ時代の製作として観賞せり」と述べている。現在青龍殿の中に安置されているのがその石仏のようだ。
また「将軍塚大日堂」と呼ばれていた頃の将軍塚には、その上に松などの木が植えられており、現在とは随分様子が異なっている。庭も「昭和の小堀遠州」と称される作庭家・中根金作氏の手になる枯山水庭園が中心だったようだが、現在は当時の石組みなどを活かす形で改修されている。
因みに江戸時代の『拾遺都名所図会』では、将軍塚について次のように紹介されている。
「粟田花頂山の峯にあり、塚上凹にして老松四五株あり。桓武帝の御時平安城久延なるべきとて、土にて八尺の人形を作り、鉄の鎧冑を着せ、弓箭を持せて当山の峯に西向にして埋まれける、是れ此京の守護神とす。」
<参考資料>
・京都市歴史資料館『いしぶみデータベース』(フィールド・ミュージアム京都)
・国際日本文化研究センター『拾遺都名所図会データベース』