鳥居本八幡宮神社 (右京区嵯峨鳥居本一華表町)
北嵯峨の「護法堂弁天前」バス停から東方に数分歩くと「鳥居本八幡宮神社」の参道鳥居が見える。「五山送り火」で最後に灯される「鳥居形」の曼荼羅山 (仙翁寺山) の南東麓にある小さな八幡宮社。
民家に隣接するように石造りの明神鳥居(一の鳥居) があり、その傍に「鳥居本八幡宮」と刻まれた石碑。「鳥居本八幡宮神社 由来記」の説明札もある。一の鳥居をくぐると参道は木暗い林の中へと続き、その先に二の鳥居が見える。二の鳥居からは石段を上がり、拝殿そして本殿へ。本殿背後には山が迫っている。
【歴 史】
「由来記」によれば、室町時代の応永2(1395)年、足利義満が亡き母親(紀良子) の志願により母親所縁の「洪恩院」の鎮守として建立したのに始まるという。祭神は第15代応神天皇。
紀良子(1336-1413) は石清水八幡宮検校善法寺通清の娘で、臨済宗の春屋妙葩(普明国師) に篤く帰依して出家。住居「小河殿」を禅寺「洪恩院」と改め尼僧となった。「洪恩院」(廃寺) は嵯峨釈迦堂から少し南に下がった辺りにあり、足利義満が春屋妙葩を開山として建立した嵯峨宝幢寺(現・鹿王院) に近い。
母亡き後、義満は、平安時代に仙翁寺があったこの地を「洪恩院」の鎮守社創建にふさわしいと考えたのかもしれない。
明治の神仏分離以前には、仏式による法要が行われ、8月16日には紀良子の生家である石清水八幡宮に向けて送り火をしていたとのこと。一説にはそれが現在の「鳥居形」の送り火の起源であるとも。
境内には日本古来の神仏習合の様子がよく残っている。本殿向かって左手には、「福岡大明神」「玉姫大明神」「玉岡大明神」と刻まれた三つの石碑が祀られ、右手には「八房大明神」の小さな祠。キツネの像が置かれている。
さらに少し離れた東側にはご神体の「磐座」(国分大明神) も安置されている。いずれも由緒は不詳だが、長い歴史の時々に、信仰心ある篤志家の人達が祀ったのだろう。
「鳥居本八幡宮神社」西側の竹林の横にある小径をたどると、「護法堂弁財天」の敷地に出る。どちらも観光スポットとは程遠いが、それゆえに地域の人々の信仰心がしみじみと感じられる場所だ。
暗き夜空に 鳥居を点す (畦の花)
<参考資料>
・『鳥居本八幡宮神社 由来記』
・『嵯峨遺跡 埋蔵文化財発掘調査報告書』2019 国際文化財(株) (室町時代の嵯峨復元図)
・コトバンク