齋宮神社 (右京区嵯峨野宮ノ元町)
「車折神社」の表参道入り口から三条通を東に向かって散策。有栖川に架かる橋を渡るとすぐ、道路北側に面して建つ古い神明鳥居が目に入った。ここは?鳥居横には「齋宮神社」と刻まれた石柱。「齋宮」の言葉に惹かれて参拝。
(祭神)天照皇大神 (あまてらすすめおおかみ) (御利益)厄除け開運・婦女子の血の道の守護など
【歴 史】
この地は、第11代垂仁天皇の第二 (第四とも) 皇女の倭姫命 (やまとひめのみこと) が、「御杖代 (みつえしろ)」として大和国から各地を巡歴して伊勢の国に入り、神託により皇大神宮 (伊勢神宮内宮) を創建した時に潔斎を行った旧跡と伝わる。「倭姫命」は初代伊勢斎王とされ、里人は命の薨去後に祠を建てて天照皇大神を勧請した。それが「齋宮神社」の始まりとのこと。
寛文年間 (1661-1673) 社殿の改修が行われ、同9 (1669) 年に遷宮される。
嘉永元 (1848) 年 村内の大火により当社古記録が焼失し、社殿・玉垣が改築される。
昭和30 (1955) 年 現在の社殿に改築される。
鳥居を入るとその先に拝殿、奥に本殿がある。拝殿前には木の神明鳥居があり、その両側には灯籠が配されている。穂垣が禊の社に相応しく感じられる。拝殿右には「神殿之跡地」の石碑。左側にはもう一つの鳥居があり「白龍大神」が祀られている。そしてそのすぐ横には大きな「さざれ石」が置かれ、傍にはまるで神社を包むかのような御神木の「椋の木」が堂々と聳えている。平成14 (2002) 年に京都市指定保存樹に指定された大木。
[Note] 「野宮 (ののみや)」とは、斎王に卜定された内親王 (または女王) が、一定期間籠る施設で、川で禊 (みそぎ)・祓 (はらい) の儀が行われたと伝えられる。京都では主に嵯峨野や西院に設けられ、西院野宮神社、嵯峨野の野宮神社・齋宮神社・斎明神社が現在に残る跡とされる。
神社のすぐ西を流れる「有栖川」は「斎 (いつき) 川」とも称され、奥嵯峨の観空寺谷から大沢池を経て、さらに広沢池からの細流と合して梅津の東で桂川に合流する。「斎 (いつき)」の語が、古にはこの川が神聖な流れであったことを表している。
いつも観光客で溢れている嵐山の「野宮神社」とは異なり、こちらの「齋宮神社」はひっそりと静か。しかし地域の人々の誇りとして、大切に受け継がれていることが伝わってくる神社だ。
<参考資料> 京都市の駒札