化野 (あだしの) 念佛寺 (1) (右京区嵯峨鳥居本化野町)
嵯峨釈迦堂 (清凉寺) から愛宕街道を愛宕神社の「一の鳥居」に向かって歩いていくと、その中間辺りに化野念佛寺がある。この地域は京都市の「嵯峨鳥居本伝統的建造物群保存地区」に指定されており、化野念佛寺を境として上地区と下地区に分けられる。特に化野念佛寺から一の鳥居までの通り沿いには、かや葺の農家風な家並みが今も残り風情がある。
【化野 (あだしの) とは?】
平安時代、この辺りは東山の「鳥辺野 (とりべの)」、洛北の「蓮台野 (れんだいの)」 とともに都の「三大葬送地」のひとつであったため、「あだし野」と呼ばれるようになったという。
古語「あだし (徒・空) 」には「はかない、虚しい」という意味がある。その「あだし」に、「生」が化して「死」となり、この世に再び生まれ変わることや極楽浄土に往生する願いなどが込められた「化」の文字があてられたのかもしれない。
【念佛寺 歴史】
平安初期の弘仁2 (811) 年、風葬でこの地に野ざらしになっていた遺骸を埋葬・供養するために、空海が五智如来の石仏を建てて「五智山如来寺」を建立したのに始まると伝わる。
当初は真言宗の寺院だったが、鎌倉時代に法然が中興してからは浄土宗となる。延暦寺の弾圧から逃れて愛宕山の月輪寺に参籠していた法然が、当地に念仏道場を開くと多くの念仏衆が集まり、寺名も「念仏寺」と改められたという。
江戸時代の正徳2 (1712) 年、黒田如水の孫で岡山出身の寂道和尚により本堂と庫裏が再建される。
明治30年代頃、宗教団体 福田海 (ふくでんかい)の開祖・中山通幽師が中心となり、地元の人々の協力を得て「あだし野」山野に散乱埋没していた多くの無縁仏・石塔を掘り出し集める作業が行われた。そしてそれらは、極楽浄土で阿弥陀仏の説法を聴く人々になぞらえて念仏寺に配列安祀され、賽の河原に模して「西院の河原」と命名される。
正式名:華西山 東漸院 (かさいざんとうぜんいん) 化野念仏寺
本尊:阿弥陀如来
「右 あたご道/あだしの念仏寺」の道標が建つ石段の参道を上っていくと「化野念仏寺」の拝観受付がある。参道途中には湛慶作と伝わる釈迦・阿弥陀二尊仏がある。受付の南側一帯に「西院の河原」が広がっている。
【西院(さい)の河原】
境内のほぼ中央、石塔が置かれた石垣で四方を囲まれた「西院の河原」には、あだし野一帯から集められた夥しい数の無縁石仏 (その数約八千体とも) が、十三重石塔を中心に並ぶ。その景観には心を打つものがある。
西側の「西院の河原」入り口には鐘楼があり、向かい合うように「空也上人■祈願■」と読める石碑が建つ。
累々と並ぶ石仏・石塔の有様が、「これはこの世のことならず 死出の山路の裾野なる…」で始まる『賽の河原地蔵和讃』(伝 空也上人作) に描かれる「幼児が小石を運んで回向の塔を積み続ける河原」を想起させるところから「西院 (賽) の河原」と呼ばれるようだ。
愛宕山には空也上人が修行をしたという「月輪寺」や、麓の清滝には「空也滝」もある。空也上人は、あだし野の野辺の石仏を目にしつつ、「南無阿弥陀仏」と称名念仏して歩いたのかもしれない。
毎年8月末 (地蔵盆の頃) の夕刻より行われる「千灯供養」では、暗くなった「西院の河原」が供養のローソクの火で照らし出され、その光景にはしみじみと胸に迫るものがある。
【延命地蔵堂】
「西院の河原」の西南角にあるのが「延命地蔵堂」。比較的新しく建立されたようだが、なかなか立派な半跏の地蔵菩薩が祀られている。お堂内の壁面には、「嵯峨面」の作者として知られる藤原孚石氏による「地獄極楽絵図」が描かれている。向かって右壁面には睨みつけるかのような閻魔大王が、そして左には慈愛に溢れる地蔵菩薩が、対峙するかのように見つめ合っている。
【本 堂】
「西院の河原」の西側に建つ本堂と庫裏は、正徳2 (1712) 年に岡山出身の寂道和尚により再建。向拝からの拝観となるが、本尊 阿弥陀如来坐像を中心として、両脇向かって右に釈迦如来坐像、左に宝冠十一面観世音菩薩(?)坐像が安置されている。本尊は運慶の嫡男 湛慶の作というが、柔らかな体の線と少し微笑んでいるようにも見える穏やかな表情が印象的。両脇の二仏は比較的最近の造立のようで、金色に輝いている。
境内北側の木立に覆われた苔庭には、石の「阿弥陀三尊」や虫を供養するための「虫塚」、昭和初期の映画監督 内田吐夢 (とむ) ゆかりの「吐夢地蔵」などがある。「吐夢地蔵」は映画『大菩薩峠』の中で実際に使用されていたもので、監督の死後に念佛寺に奉納されたものらしい。
<参考資料>
・あだし野念仏寺 拝観の栞・公式HP
・京都市情報館website 「まちづくり」
・ 『『淨土安心 愚鈍念仏集 全』翻刻と解題』 関口靜雄著 (「学苑」第889号 (資料紹介特集号) , p207-234 , 昭和女子大学 , 2014.11)