嵯峨鳥居本の ”八体地蔵尊” に思う

町のお地蔵さん

八体地蔵尊

 嵯峨野の最も奥に位置する 「嵯峨鳥居本地区」 は、清滝を経て愛宕神社へ通じる愛宕街道に沿った古い町家や農家が並ぶ自然豊かな地域。愛宕神社「一之鳥居」からほぼ東に向かって600メ-トルほど続く風趣ある街並みは、江戸時代中期には愛宕詣の門前町としても栄え、現在は 「京都市嵯峨鳥居本伝統的建造物群保存地区」 として国の 「重要伝統的建造物群保存地区」 に選定されている。

 中ほどにある「化野念佛寺」からさらに東に向かうと、やがて道は二手に分かれ、左に道を取れば大覚寺、右に進めば祇王寺・二尊院・清凉寺へとつながる。この三叉路で出迎えてくれるのが 「八体地蔵さん」。長い年月を経てお顔もよくわからないほどの八体の古い石仏が、いつもきれいな白い「よだれかけ」を着け、それぞれの季節らしいお花が手向けられている。「よだれかけ」には「町内安全」「交通安全」「子ども安全」などの言葉が書かれ、地域の人達に大切にされているのがとてもよくわかる。

「山の辺の道」石標

この近くには「左 山の辺の道」と彫られた古い石の道標もある。「山の辺の道」と言えば思い浮かぶのは奈良だが、鳥居本の人々は「愛宕街道」をそんな風に呼び、愛しているのかもしれない。

 「八体地蔵尊」 から大覚寺へ向かう道を少し東に行けば、瀬戸川 (古くは「芹川」あるいは「曼荼羅川」とも) に架かる「まんだら橋」。京都市が2005年に 「守っていきたい京都の眺望景観」 と題して市民の意見を募集したところ、北嵯峨については「嵯峨鳥居本「まんだら橋」から見た五山送り火 (鳥居形) やその山裾に並ぶ茅葺民家などの景観」が挙がったという。

 

「まんだら橋」から曼荼羅山を見る

 瀬戸川の両岸は石堤で整備され、散歩をしてみたくなるような空間になっている。目の前には「鳥居形」の火床がよく見える「曼荼羅山」があり、山の上方を時折トビが輪を描いて気持ち良さそうに飛んでいる。そして橋の袂には「右 (?) はまんだら山」と刻まれた古い石灯籠があり、もはやどのような仏像が彫られていたのかも不明な石仏にもよだれかけが着けられている。さらに奥の方にも小さな六体の石仏。

 かつて「葬送地」であった「化野 (あだしの)」の山野には、多くの無縁仏や石塔があったが、明治になりその多くは「化野念佛寺」に祀られたという。その後の道路や宅地の整備に伴って出てきた石仏や石塔が、「八体地蔵尊」 のようにしてあちらこちらに祀られているのだろう。

瀬戸川川畔のお地蔵さん

 京都を歩いていると、驚くほど多くの石仏に出会う。地蔵菩薩が多いようだが、実は大日如来や阿弥陀如来だったりすることもある。しかし、そのすべてをひっくるめてたいていは「お地蔵さん」。釈尊滅後の無仏末法の世で、六道全ての衆生を救い続けるという誓願を持つ菩薩 (六道能化) とされる「地蔵菩薩」は、庶民にとって最も身近な「ほとけ」だったのだろう。京都では8月に 「六地蔵めぐり」 「地蔵盆」 などの行事が行われ、「地蔵盆」 「京都をつなぐ無形文化遺産」 として市から選定されている。そうした「町内のお地蔵さん」に関して、最近気になる記事を目にした。

 その記事 (京都新聞 web版, 2024.7.22) によれば、中京区内のマンション建設予定の業者が、敷地内にある地蔵尊の祠の移転を町内会に求めているという。地蔵の祠がある場所は、その土地の所有者の善意で貸されていることが多いようで、所有者が変われば移設に直面する「お地蔵さん」も増えることが懸念される。
 続報で「住民側の粘り強い交渉により地蔵尊の祠はマンション敷地内に置かれることになった」ことを知る。その記事の結びとして記者は


暮らしに根付く文化を守れないなら、「文化首都」を名乗る資格はない


と述べている。最近の京都の観光行政を見ていると、幻滅を感じることが多いが、どうやらそう感じるのは私だけではないのかもしれない。”八体地蔵尊" のあるのどかな鳥居本の風景が、いつまでも残されることを願う。

<参考資料>
・ 『⿃居本町景観まちづくり計画書』京都市, 2023.10.16
・ 『京都市中京区のマンション開発で「将来トラブルも」地域のほこら、移転余儀なく 解決策は?』 京都新聞 web版, 2024.7.22
・ 『開発加速する京都市で「邪魔者扱い」に不安 「地域の宝」お地蔵さんは守れるのか』 京都新聞 web版, 2024.8.20