辰年だけの十一面観音さま:六波羅蜜寺
東山 清水寺や八坂神社近くの 「六波羅蜜寺」 (真言宗智山派)では、12年に一度、辰年にのみ御本尊の秘仏「十一面観世音菩薩立像」(国宝) が御開帳される。今年2024年はまさに辰年で、11月3日から12月5日までの33日間 秘仏公開された。この機を逃しては拝観できないかもと思い、出かけてみた。
御開帳の時には、特別な「淵龍護符」が授与されるようだ。つまり12年毎にお札の色が赤・黄・緑・紫・白へと変わり、今年は白色に飛龍紋様入りの護符。11月3・4・5日に限り午前9時より各日先詣500名に無料授与されるということで、3日間は開門前より長蛇の列だったと聞く。60年で5色のお札が揃うわけだが、全て揃った家は「家運隆昌・子孫繁栄」のご利益ありとのこと。なるほど、無料で福が授かれるなら待ち時間も苦にならないか …。
<「飛龍淵龍護符」の伝承>
しかし、なぜ「淵龍護符」なのか? 寺には次のような言い伝えがあるという。
「六波羅蜜寺が「西光寺」と呼ばれていた平安中期 康保末年 (967) 頃のこと。寺の門前にある大きな池に龍が棲んでいた。この龍が度々悪さをして人々を悩ませ苦しめるのを見かねた空也上人は、「毒獣毒龍毒虫の類と謂えどもこの錫杖の音を聞けば菩提心を発するものぞ」と諭し、龍を錫杖で二度三度触れた。すると龍はたちどころに悔悛し、寺の守護と信仰篤き参拝者の七難即滅七福即生、金運不断を御本尊に誓願した。」
その龍頭は今も寺に祀られ、江戸時代頃から辰年に限り御本尊開帳が行われるようになったようだ。また、特別御開帳期間が「33日間」なのは、「法華経」観世音菩薩普門品第二十五 (観音経) に、観世音菩薩が三十三身に変化 (へんげ) して人々を救うと説かれているのに由来するのだろう。因みに、当寺は西国三十三所観音巡礼第17番札所、洛陽三十三所観音霊場第15番札所でもある。
拝観に訪れたのは、11月下旬。午前10時を過ぎていたが、案内所付近には列を作る人達。「拝観順番待ち?」と思ったが、どうやらひとつだけ願いが叶うという「一願石」を回すための列だった。本堂前はそれほどの人だかりではなく真っ直ぐ秘仏拝観に向かう。
いつもは閉ざされている厨子の扉が開けられ、そこには空也上人が天暦5 (951) 年に発願造像したとされる御本尊「十一面観世音菩薩立像」の姿があった。
像高258cmと意外に大きな像だが、外陣からの拝観なのでそこまでの大きさとは思えない。やや四角ばったふっくらとした顔に、見開きの少ない伏し目で穏やかな優しさが漂う。右手は垂下し、左手は曲げ、どちらの手も親指と中指でそっと輪を作る。十一面観音菩薩像は、左手に水瓶・蓮華を持つ姿が多いが、こちらの菩薩像にはそれがない。印相だけ見ると、阿弥陀如来像とも見えてしまう。肩幅が広く肉厚な上半身は、後の定朝様の仏像を思わせる。残念ながら下半身から蓮華座にかけては、法具や供物などの陰になってしまいよく見えなかった。
御本尊の左手には五色の紐が巻かれ、その紐が内陣から外陣中央の参拝場所まで伸びている。そしてその紐は金色の五鈷杵に巻かれ、参拝者はその五色の紐に手を触れることで観音さまと結縁できるという。
六波羅蜜寺を後にしたのは11時を少し過ぎた頃だが、入口付近はさらに混み合っていた。昨今「秘仏」と謳いながら、メディアの取材には「今日は特別」といそいそと臆面もなく披露される「秘仏」が多い中、当寺の御本尊は本当に12年に一度しか公開されないようで、その有り難さを信仰として人々は参詣するのかもしれない。ご縁があったかなとしみじみ思う帰り道だった。
<参考資料>
・ 六波羅蜜寺 拝観案内・website ・ 『六波羅蜜寺天暦造像と空也』 鳥位名 久礼 著