仁清、日本キネマそしてオムロン

京あれこれ

兼好法師所縁の長泉寺を訪れて、その付近に埋もれた京都の歴史を発見。
まず長泉寺東向かいにある土堂公園の西側に「オムロン発祥の地」の碑。オムロンがまだ「立石電機」と称していた終戦の年(1945年)、この地を本社工場としたとのこと。その後1990年、御室(おむろ)の地にちなんで社名を「オムロン」に改称。
そのオムロンが本社とした地、実は日本キネマ双ヶ丘撮影所(1928年建設)があった所。マキノ・プロダクションの大道具主任だった河合広始がマキノを退職し、片岡千恵蔵や嵐寛寿郎などのスターの独立プロの拠点としてこのスタジオを建設。ここで撮影された映画には、山中貞夫監督「磯の源太・抱寝の長脇差」(1932)、入江たか子プロによる溝口健二監督「滝の白糸」(1933)などがある。「立石電機」本社となってからも1950年代には工場内で新東宝の撮影が行われたようだ。

仁清窯址また土堂公園を少し南に行くと、今度は民家の前に「陶工 仁清窯址」の石標が見える。江戸時代前期の陶工・野々村仁清が御室窯を開き御室焼を始めた場所らしい。仁清の号は、仁和寺の「仁」と清右衛門の「清」の字を一字取り門跡より拝領したと伝えられている。この地はその後、「時代劇の父」と呼ばれた映画監督・伊藤大輔の邸宅になったらしく、伊藤により「庭いじりの際にはしばしば陶片が見つかった」というエピソードも残されている。
文学、芸術そして産業…歩く度に新しい発見がある京都は面白い!!