法蔵禅寺(法蔵寺) (右京区鳴滝泉谷町)
尾形乾山の住居と窯の跡が鳴滝の寺院「法蔵禅寺(または法蔵寺)」として残っている。周山街道を福王子交差点から西に5, 6分歩くと、北に入る道の角に「法蔵禅寺」の道標がある。急坂を登って行くと嵯峨野病院の建物。「法蔵禅寺」はそのすぐ北に隠れるようにあった。門前には「海雲山 法蔵禅寺」の石柱とともに「尾形乾山宅跡」などの石碑が並ぶ。
寺伝によれば、二条家の山屋敷であったものを、1700年に尾形乾山が譲り受けて窯を築いたらしい。「乾山」の銘は、この地が御所の乾(西北)にあたるのに由来。1712年、乾山は窯を閉めて儒者の桑原空洞(くわばらくうどう)に家を譲渡。さらに1731年頃、黄檗宗の僧・百拙元養(ひゃくせつげんよう)が、近衛家熙(このえいえひろ)の助力を得て桑原空洞旧宅を黄檗宗の寺としたのが開基。
確かに小さな山寺といった感じの所。石段を上がって山門をくぐると鎮守社。予約もしていなかったので、門の外からお庭を拝見。本堂背後の墓地に乾山の窯跡はあるようだ。
【尾形乾山(1663-1743)】
江戸時代の陶工・絵師。京都の呉服商、雁金屋の三男として誕生。画家・工芸家の尾形光琳は6歳年上の兄。26歳の頃、仁和寺近くに住まいし、野々村仁清から本格的に陶芸を学ぶ。37歳の時、かねてより尾形兄弟に目をかけていた二条綱平に鳴滝泉谷の山荘を与えられ窯を開く。69歳で江戸・入谷に移り住み81歳で没する。作品には兄の光琳が絵付けしたものも多い。