浄土院 (湯たく山茶くれん寺) (上京区今出川通千本西入)

京都・寺社

千本今出川の交差点を少し西に歩いた通り沿い、北側のビルの間にひっそりと門を構える小さなお寺。しかし歴史的には有名な所のようだ。門前には「豊公遺跡 湯たく山茶くれん寺」の石碑。「豊公遺跡 湯たく山茶くれん寺」の石碑
今は浄土宗の寺院だが、元は天台宗の宗印が般舟(はんじゅ)院(正式には指月山般舟三昧院)の隠居所として開基したという。

「般舟三昧院」とは?
 般舟三昧院(般舟院)は、文明11年(1479)に後土御門天皇の勅願により、浄土宗西山派の二尊院長老善空を開山として伏見・指月山に皇室の菩提所寺院として創立。当初は真言・律・天台・浄土(禅ともいう)の四宗兼学の道場であった。しかし文禄年間の伏見城築城工事に伴い西陣(現在の上京区般舟院前町辺り)に天台宗寺院として移る。その当時は現在の嘉楽中学校(旧上京第七番組小学校)の全域とその西隣にある般舟院陵をも含む広大な広さを誇っていたが、明治維新後の神仏分離令に伴い衰微、廃寺。嘉楽中学校の前に「禁裏道場蹟(般舟院)」の石碑が残るのみ。

「湯たく山茶くれん寺」の由来
 天正15年(1587)に豊臣秀吉が「北野大茶会(北野大茶湯)」を催した折の話。浄土院に名水があると知っていた秀吉は、茶会に向かう途中で当寺に立ち寄って茶を所望。続けて二杯目も所望されたので、庵主は大茶人でもある秀吉に未熟なお茶を出し続けるのは失礼に当たると考え、次からは寺に湧き出る「銀水」の白湯を出し続けた。庵主の思いを悟った秀吉は「お茶を頼んでいるのに白湯ばかりで、お茶をくれん」と笑ったとか。以来「湯たく山茶くれん寺」と呼ばれるようになったと伝わる。「湯たく山茶くれん寺」

残念ながらしっかり門は閉じられて非公開。門前の駒札によれば、本堂屋根には楽家初代長次郎作の「寒山拾得像」の焼物があると言う。