定家ゆかりの「慈眼堂」 (右京区嵯峨二尊院門前北中院町)

京都・寺社

慈眼堂嵯峨釈迦堂(清凉寺) から西に少しばかり「愛宕道」を行くと、右手に小さな堂宇「慈眼堂(じげんどう)」がある。お堂に近づいてみると、堂内の照明が点いて観音像を拝見できる。この「愛宕道」の両側一帯が「中院」と呼ばれることから、この仏像は「中院観音」と称されているとのこと。

お堂の前に立つ駒札によると、本尊「木造千手観音立像」は藤原定家の念持仏で、定家没後は子の為家に伝えられ、その後為家からこの地の人々に与えられて、長らく村役浜松屋善助の屋敷内で祀られていたという。江戸後期の『拾遺都名所図会』には、この仏像が定家の念持仏であることを知った冷泉為村(江戸中期の公家・歌人、上冷泉家15代当主) が、村を訪ねて寄付をするとともに、以後も村で大切に安置されることを依頼したと記されている。
ややふっくらとして柔和な顔に、小さめな脇手が印象的。同様に定家の念持仏とされる厭離庵の如意輪観音像と相通じる作風が感じられる。「12世紀後半の様風を伝える仏像で、鎌倉時代初期における藤原風の美作として貴重なものである」として昭和60(1985)年に京都市指定有形文化財に指定されている。また本尊脇には、小さめではあるがなかなか立派な「毘沙門天立像」も安置されている。

本尊以外に古文書3巻も伝わっているようで、現在は「慈眼堂」共々、住民でつくる中院町文化財保存会が管理しているとのこと。毎年正月14日夜から15日の日出にかけて、中院の人達が「慈眼堂」で「日待」行事を行い、定家と為家の法要も営んでいるという。京都という街は、それぞれの地域の住民達の、自分達の住む所の歴史や文化を大切に守り伝えていこうとする気持ちに支えられているんだなと感じる。

【日待(ひまち)】
 人々が集まり前夜から潔斎して一夜を眠らず、日の出を待って拝む行事。その期日は土地によって異なるが、庚申講や二十三夜講の日を日待とする所もある。土地によっては日待講ともいう。
 例えば京都では、一乗寺の「八大神社」で、毎年1月14日夜に御日待祭(おひまちさい)が行われている。小正月(1月15日)を迎える祝いの行事で、参列者は本殿の周りを3周する「お千度(せんど)」を行う。